現在、東電のウィキでデモ中ですと!
早く観ないと消されますぜ!!!

http://tepco.researchlab.jp/

反対活動にもユーモアが必要ですね。

声を荒げるだけでは北風と太陽みたいになってしまう。

だから怒りも憎しみも一旦腹の奥底に落とし込んでから、頭を使う。

悪臭を放つ人は自分の臭さに気づかない。
しかし、悪臭を嗅がされた人はその匂いを忘れないもの。

どちらを選ぶも善し悪しはないかもしれないけど、人生の宿題きちんとして来ないでいる人たちはやっておいた方がいい事色々あるんではないか?って思います。どんな人にもリミットがあるわけだし。

全然話が変わって、”死ぬ”って言葉は死んでく人が使う言葉だなってふと思ったんですよ。

当事者側が”死ぬ”と言うのに対して、残された人たちは日本では

”死なれる”と言いますね。

死なれる=死ぬと困る

って意味合いが含まれている感じがしませんか?

そして死ぬ事によって途切れる縁(えにし)の糸が見えたりします。

震災後は特に日本人の皆さんは特に死というものが非常に身近に感じられていると思います。

みんないずれは死ぬんだけども、それが早まってしまったように感じてるのは私だけではないと思いますがどうでしょう?

この世の終わりがあるからこそ、今を懸命に生きるって論理は実はあんまり好きじゃないけど、終わりがなければ始まりももちろん無い訳で(この世では)多くの感情体験が出来るのかもしれません。

生きていたい!

死にたくない!

沢山の人々の心の声が聞こえて来るような日々でもあります。

だからこその今、だからこその人生ですね。

人生の終焉に差し掛かった人々はそれまでの生き方を振り返って中途半端にしていた事を仕上げようとしたり、お別れの準備をしたり(ジョブズさんみたいにね!)、しなかった事にチャレンジしたりします。

実は来年の春、おとーちゃんはおじいちゃんになる予定です。しかも初孫は男の子らしく今から両家のじじばばは興奮気味なわけです。

「ゴンもおばあちゃんになるな!」

と言われますが、子供を生んでないのにおばあちゃんにいきなりなってしまうのも変なもので抗うように

「私はおばあちゃんじゃない。都合良くラベル貼るのはやめて」

って言ってある(笑)

とにかく繰り返される生命サイクルの中、皆が今は平等でなくても人間の生死もまた何がしかの意味を持つと私は信じたいです。

人生にユーモアを!










こうやってブログに時間を使えるのも最近では珍しいので連投してしまいます(汗)

いや~目まぐるしく色んな事が変化してますね。ユーロも近い内に100円を割るんでは?って緊張感が走る中、世界中が二分割されそうな経済構造に飲み込まれそうですね…特に中流階級層には厳しい現実が待ち構えてると言えるでしょう。近い将来貨幣価値が下がる事は頭の片隅に置いておく方がいいかもしれませんね。既にエリートたちの多くがそれに備えていると言われているそうです。

それに加え、日本はもちろんの事、
世界的にも安全な食品が今後益々手に入り難くなって来ます。

お金の為ならば人の命がどうなってもいいという社会的な闇構造が今回の原発事故で広く識られたわけですが、それに端を発してもう破れかぶれ状態になっていると言って過言ではないでしょう。

モンサント然り、汚染食品然り、水も土壌もやられれば吾々は毒を盛られたモルモットと変わりありません。いくら美味しいとは言え、毒を食らうのか?到底美味しくないが、毒ではない輸入品に代替えするか?或いはかなり高くつく物か?究極は自給自足するか?ですね。

地表が汚されて人類が地下に潜って暮らすようになると言う話がありますが、本気で地下で農業を考えて実践してる人達もいたり、ビルゲイツなんてとっとと種苗を保管して万が一の時に備えているNWOなんだけど、アメリカの投資家でも今はオーガニック農園などに投資してる人がかなりいます。

また水源の少ない中国は外国の水源地のある不動産を購入している動きもあるとだいぶ以前から危惧されているので、水と土壌はご先祖様からの贈り物であり未来への贈り物と大事に守って行くべきだと心から思いますね。

南加州に住むようになって水の豊かなふるさとに生まれ育った事に改めて感謝するようになりました。それだけ日常の暮らしに水が当たり前にあったと日本に住んでいた頃には気づけなかったのですね。だから朝晩のスプリンクラー無しでは草木も枯れる砂漠地帯にフェイクな暮らしをしている不自然さがいつも引っかかっています。

吾々はきっと海の人であり、山の人であり、野の人…と自然界の一つとして完璧に生きていられた生き物だった筈が便利を優先させた不自然さに生きたが為に業の強い生き方をしてる事にさえ気づけなくなってしまったのでしょう。

全てがつながり合う世界にワンネスとして生きてる事に気付いたら、誰かの痛みも喜びも自分ごとに思えるでしょう。

その時にきっと自分ごと世界中が一瞬で変わる




さてさて、午後はテマキュラへ戻ります。サンフランシスコではいっぱい歩いて良かったわ~

おとーちゃんもオフィスワークでだいぶ煮詰まっている様子むかっ組織が大きければ大きい程、魑魅魍魎がうじゃうじゃですからそういうのにまた自分から挑んで行くのがおとーちゃんなわけです汗盲導犬でなくて、獰猛犬。。。

頑張れ、我が家の獰猛犬おとーちゃん!!!


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