やっと、マーク・ボイル著『ぼくはお金を使わずに生きることにした』を読了。

いつもキャリーバッグの中に入れてあって、旅に出なければこの本を当然読まない事になっていた。
それでも時間をかけて、その時々の自分の気持ちに入り込んで来るマーク青年の熱意に満ちた言葉は時折目頭を熱くさせた。
電子書籍にすれば紙の無駄使いも減るのは分かっていても、やはり私はペーパーブックが好きだ。何度も線を引いたり、ページの端っこを織り込んで読み返したり、調べたりするから本の厚さは膨らんで行く。
それは私の空っぽな知識の箱に少しずつ誰かの体験や哲学や思想が読み込まれていくようなものだといつも思う。

さて、アイルランド生まれのこの青年は大学で経済学を学び、オーガニック食品業界に就職する。
マハトマガンディーの

「世界を変えたければ、まず自分が変わりなさい」

という言葉に誘われ、2007年フリーエコノミー運動をブリストルで創始し、2008年の国際無買デー(クリスマスから一ヶ月前にクリスマスバーゲンに異を唱えた人々がカナダで始めたと言われている)から一年間、お金を一切使わずに暮らす事を選択し、実験を成功させた。

本書はその一年の話をまとめたものだ。

いろんなレビューがある中で斜めな意見も多くあったり(大抵、それを書いてる人々は絶対にフリーエコノミーを実践する気など毛頭ないんだろうけど)するけれど、私は凄い事を若い一人の青年が、かのイギリスで!やり遂げたものだ!!!と大きな賛辞を贈りたい気分。

もちろん、その場所がここアメリカや日本でも同じだろうと思う。
インドやフィリピンの貧民窟の話とは分けが違うのだから。

世界中の殆どの人々が貨幣経済によって隷属的に暮らす社会構造の中にいる。

「お金がなくっちゃ生きて行けないんだから仕方ないでしょ!」

私の人生で何度となくこの言葉を本当にほんとうに沢山の人々の口から聞いて来た。
その度に引っかかるものをずーーーーーっと感じて、

「。。。そうだね。」

と喉の辺りで言葉を殺す事、幾度となく。。

この”仕方ない”がいつもくせ者だった。

3.11後に原発の是非を問いながら、「電気がないと暮らせないんだから原発は必要なんだ!仕方ないんだよ!」と田舎のおじさん連中がタバコくわえてわかったようにしたり顔になってるのに

「ちみちみ、電力は足りてるんだよ!足りないのはちみのおつむのほうだよ!」
と多くの若者が原発のからくりを理路整然と語れるのが今だ。

”仕方がない”で済ますのは、何らかのごまかしがある時や事が大層複雑に見える時に大人が使う、常套句。
自分の考えが及ばないか、或は考えたくもない内容、もしくは自分が考えても何も変わらないという諦めから来る言葉だ。
そして多くの大人はこの”仕方ない”を子供たちに使う事が多い。この言葉を使う大人の多くは変わりたがらない人々であり、復習を嫌う。
非常に狭い世界観の中で暮らしている人が多いのは実に寂しいけれど、それこそが仕方がない事実ではある。

もとい、マーク青年はこの”仕方ない”に真っ向から立ち向かい、自分と周りとのコミュニティーを強固にし、当たり前をどんどん覆して行く。

例えばアーバンフォレジング(市街地採集)やスキッピング(事業系の廃棄物の金属製コンテナを”スキップ”と呼び、ショップ(店)に行くのをショッピングと言うのに対比して言われる)はともすると敬遠されがちだけど、私の実家はスーパーだったから毎日廃棄処分されるものが山のように出る。賞味期限が一日過ぎたくらいでも食べられるものは本当に沢山あるし、色が変色しただけで驚く程美味しい果物も廃棄される。

お得意さんが熟れたバナナなどをケーキに使うのを知っているので社長である伯父がお客さんが使えそうな食材があるとタダで持って行ってもらうケースもかなり多いし、今日明日の調理であれば痛みをカットした野菜や果物を籠で一山○○円!と売る事もある。

地元の顔見知りの農家から買い入れた生鮮食材だからこそ、最後までちゃんと売りたいと思うのは当たり前の事と思う。

しかし、これが大型スーパーになるとそうはいかない。機械的にチェックされたものを全て廃棄していくだけだ。

しかも、その多くは薄利多売で特に食に関して言えば、イチゴの味もトマトの味もしない、ケミカルプラスチックフーズやケミカルホルモンフードの類い。

おかしな事に地元の食材よりも遥か遠い国から空輸される食材の方が安く流通されているのが私達の食卓の入り口なんだけど、このからくりに疑いを持たない人々は考えもせずに地元農家の作った野菜ではなく、大型農業工場で薬づけになって運ばれる安価な食べ物を買う。

どれだけ私たちの食生活は歪められているんだろうと思う。

私はこの春に種まきをしてキュウリやトマト、ほうれん草やレタスなど夏野菜の殆どは自分で育てているからこの二ヶ月余りサラダの材料は買っていない。
でも、それには害虫予防のコーヒーかすや有機肥料など、手間ひまがかなり掛かっていて、お金に換算するととても割高になる。しかし、食べ比べて頂けると断然に理解出来るのだけど、全く味も違えば、体が何よりも変わる!

外食が続くと疲れやすくなるし、便秘にすぐなる。
家に帰って早くグリーンスムージーを作って呑みたくなるし、砂糖いっぱいのケーキを欲さなくなって来た。

何を言いたいか?と言うと、自分の食べるものくらいは自分で少しは作ってみませんか?という事なのです。

それが”食べる=生きる=責任(自分以外の生き物に対しての責任と、自分自身への責任も含み)”なんではないだろうか?

私達は非常に生きる事に希薄になっている。

延命が進み、人生下手すると100歳以上生きるのかもしれない。

だけど、寝たきりで20年ベッドでスパゲッティ症候群よろしく!な時間はご免被りたいし、理想は元気で暮らしていながらいきなりコロッとあっちへ逝くのがいい。

この『ぼくはお金を使わないで暮らすことにした』の作者であるマーク青年は、幸運な事にお金のない暮らしを実験的にやった事で”自らが自らの力で生きる実存性”を確立出来たのだろう。

これは全ての人が体感出来るわけじゃない感覚だ。

禅の修行のようであり、先住民族が自然の神々と交わす儀式のようであり、とっても崇高な暮らしの中のイニシエーションを彼は知ってしまったわけだ。

ともすれば死と隣り合わせになりかねない暮らしのエッジ部分に立って、どれだけ素晴らしい自分との対話、自然との会話に歓喜したか?しれない。

たった一人で森へ行き、そこでどれだけ本当に話したい事や聞きたい事を彼が聞けたり話せたんだろう!と思う。

彼はとてもラッキーであったと同時に、人間以外の創造物の方から彼を世界の一部としてとても祝福しているのが見える。つまり彼は自分が全てであるという事をそこで見たのでしょう(次元が上がった)。

私は最近特に思うんだけど、なんでもいいから自分の兎に角好きな事やワクワクする事(誰かの為とかではなく)にフォーカスするしか道はないんだと思うんです。自分に素直に正直に。これしかない。

形を変えて私達は自分で決めた人生をやりに今、ここにいるのだけど、その”決めた”何か?っていうのを完璧に忘れてしまっている。

唯一、それを探る糸口になるのが私達自身のワクワクする事やドキドキする事なわけですが、それさえもすっかり思い出せなくなってる人がいます。

それをみんな思い出していけば、ちゃんと大丈夫なようになる。

ひとり一人が自分の事を思い出して、次の次元に進み、新しい世界に行く~そんなちょっとスピ系的な見方をしてみたけど、マーク青年は現在、フリーエコノミーのビレッジ建設を着々と進めているようです。

さーてーと、私のドキドキ☆ワクワクもちゃんと育てて次なるステップに備えまっす!


ポートランド空港からシアトル方向、車で約40分程の小さな街Kalamaにフラリと行きました。

小さな可愛い家が個性的に立ち並び、丘から見るコロンビアリバーの雄大な流れに癒されます。

そこで私のアンテナがピンと立ちました笑

幾つかのアンティークショップに混ざり、私に信号を発していた子達が‼

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このてんとう虫シリーズ、以前日本のフリマで買い、実家においてあるのと酷似しててかなり興奮してました!
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店内にはセラミックの可愛い置物がびっしりでアドレナリンが毛穴から出まくって凄い事になっていました^^;
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こちらがオーナーのパティさん。残念ながらサイトはないそうですが全米での販売店はかなりあるそうです。

兎に角、パティさんの作るセラミックの子の可愛らしく豊かな表情は特別です。

棚には幾つもトロフィーが飾られ、彼女の技術の高さを物語っていました。

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今週末日本に帰国するので姪や甥たちと簡単ワークショップです。

またパティさんの所には行くので次回は是非セラミック制作をご教授賜りたいです🎶




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先日のQPちゃん達

目が入る前は

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今もデスクの上は無数のボディパーツが笑




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