※多少不適切な内容も含まれる為、PTSDなどのある方は読むのを止めてください。












この二週間、長引く風邪のせいでかなりの量のティッシュを使った。。。かみすぎて、時々鼻血が出るくらい(笑)頭がぼーっとして、眼球の奥のあたりがじんじん熱くなって、ちょっとふらふらして、涙目になってる自分を

小さい頃は泣いた後よくこんな感じになったな

と、体の記憶から昔を思い出した。

それはいつともなくやって来る。
だいたいが父が不在の時であり、母がそうなるのは全部父のせいだと幼い私は思っていた、いや、思いたかったのだ。よその女の所へ行く父のせい、全てあの悪魔のせいだと。

その理由は宿題をやっていないとか、片付けをしていないとか、きっかけはどんな事でも良かったのだろう。

彼女は私の髪を鷲掴みにしてテーブルの角に何度も頭をぶつけたり、よく腹を蹴り上げた。

7つ違いの姉がいつも止めに入って助けてくれるまでそれは手加減なく行われたものだった。

鼻血が出て、涙が溢れても、おかしい事に痛みに耐える事が出来た。

いや、むしろ、彼女がそれで救われるのなら、気が済むまでやればいいとさえ思っていた。

”ママ、いいよ、いっぱいなぐっても、叩いても、でも妹たちにはしないで”

悪いのは虐待をする母親ではなく、そう仕向ける第三者(父や他の人たちや社会)であって母は悪くないと大概の子供たちは母親を庇うのである。例え、この母親に「どいつもこいつも使い物にならないね!」と言われ続けてもね(汗)

そうやって毒になる親たちは自分の子供の心を肉体をまるで私有物のように扱い、破壊し、その後で愛す素振りをするのだ。

そして翌日には別人のように、まるで何事もなかったか?のように真っ白いベールを被って教会のミサを受けている母。

子供心に宗教は決して人の心を救わないと思った。

それはあくまで錯覚だ。大迷惑なほどの錯覚でしかない。

それに加え、私は母の従弟に4歳の頃性的虐待を受けていた。

私は長い間それを母に言えずに17歳の頃ようやく母にそれを言ったが逆に嗜められ、狼狽えて逃げる母に”この人は本当に母を辞めた”と感じてしまった。

きっと、当時の私は過食症で自分の破壊衝動を根本から止めたかったのだが、そのSOSがやはり母に届かない事を知った瞬間だったのだ。抱きしめてくれるだけできっと良かったのだろうけど、母にはそれが出来なかった。何故なら?彼女もそうされた事がなかったのだから。

我々家族という名のいかにも疑わしい絆、それ以上に見えない重い鎖は何代にも渡ってその子の子の子を苦しめる事がある事も忘れてはならない。悪しき因習を自らの中に認めた時に私たちはそれを改善させるように対峙する事が必要なのだ。

二重、三重の虐待を受け、その後大人になってから入院した院長の学会の論文テーマに私のケースが取り上げられたらしいが、今では知る由もない。

そう、私の育った家庭は明らかに機能不全の家庭であった。

確かに私の人生は過酷で因習が付きまとう暗い季節からのスタートであったけれど、そればかりでもなく、それと同様もしくはそれ以上に救われたり温かなものを周囲から頂く事によって生きて来れたのだ。

誤解しないで欲しいのは私は母を憎んではいないし、愛している。

そしてただ母から抱きしめて欲しかったのだ。

起きてしまった全ての事は変えられないが、これから始まる事に繋げるものはなるべくなら暗く嫌な過去からの鎖よりも、希望や夢に満ちた明るい光が子供たちには必要なのだ。

もちろん、闇がなければ光もないのだけど。

今回、実家に帰って昔の話を婿殿に延々と語ってる母の言葉を制した所から話は始まった。

アメリカに渡って来る前に私は母へ一通の手紙を送ったのだけど、母をそれを燃やしてしまった。

よほど置いておくのが嫌だったらしい(汗)が、私にはとてもたいせつなメッセージであり、母に覚えておいて欲しい事だった。

「もうたくさんなの!家の恥を晒すような話はもうたくさんなの!
今更、一体何をしろって言うの?もう済んだ事でしょ、全部。仕方ないのよ、昔は色々あって・・・忘れるしかないの、そう、忘れなさい。前だけ見て生きればいいのよ。とにかく、私はあなたの何倍も苦労して来たんだし、もう十分償ったわ。私に何をして欲しいって言うのよ!」

焦点の合わない話を長い時間かけてしていた。毎回そんな事になるのは解っているのに、また私はこの人から自分の母である事を確認したがっているだけなのだな~っと堂々巡りの話に苦笑していた。

妹夫婦も傍にいて、妹は時折声を荒げて、二児の母としての自分の意見を吐露して涙ぐんでいた。

「ママは自分のした事おぼえてるの?」

何だか事情聴取みたいになっていた。。。

「・・・おぼえているよ」

ちょっと戸惑いながら言った。しかし、すぐに

「だから、あんた達は出来の悪い親の元に間違って生まれて来たんでしょ?だから誤ってるじゃない!私は自分の母親から誤られた事も感謝された事もないわよ!」

いつも母は肝心な核心に近づくとこのように逆ぎれし、逃げ口上にすり替えをして稚拙になり、まともな会話が出来なくなるのである。

そして一貫して母は言った。自分の一番大事なものは”仕事”であると。

そういう風にしか生きて来られなかった母が子供のままでいつまでも震えているように見える。

「もしも世界中のみんながママを褒めなくても私たちはママが大好きだよ。それだけではいけないの?」

「ふん、あんたは芸術家だよ。だけど私は現実主義だからね・・・」

いつまでもいつまでも屁理屈をこねるので立ち上がって嫌がる母を抱きしめた。
そしたら、妹が母と私を抱きしめた。そんでもって婿殿が母と私と妹を抱きしめた。

4人でおしくらまんじゅう状態で泣いた。

気づくと朝の5時を回っていた。。。



家族はずっと続くよ、何処までも。

正しいとか、正しくないとか、機能してるとか、していないとか、私はそんなのどーでもいいのである。要は、ちょっと居心地悪いと思ったら居心地よくしたいだけだ。だって、私はよその家の事はよく解らない。解っているのは自分の家庭の事だから他の家庭と比べようがないんだもの。
家庭でも恋愛でも私は大きく二つのカテゴリーがあるように感じる。
健康的な家庭や恋愛、不健康な家庭や恋愛。そのどちらか?
その判断は既にみんな知ってる筈である。自分がどちらにいるのか?もし解らないのであれば、それはただ単に気づきたくないだけだ。そして健康か不健康か?は自分の心が決める事も忘れてはならないと思う。十分な環境にいても嫉妬や羨望に埋もれていれば簡単に不健康になるという事。

生きてる間に親子の対話を軽んじる(逃げていたり向き合わないでいる事)と居なくなってから喧嘩も出来ないのでお互い生きてる間にどんどん向き合ったらいいと思う。例え、それが大昔の事であっても、思い出したら話し合ったらいいんだと思う。

恥ずかしいのはその時起こった現象よりも、それときちんと対峙しない事によって生じる浪費(時間や思いなど)にあると思う。

私は全てをこのブログに書き記す事が適いませんが、サバイバー(性的虐待と児童虐待の双方で)の一人としていろんな現実を自分の体験として見て来ました。

そして本当に多くの人たちがそれによって身体的にも精神的にも深く大きなダメージを受けながら生き延びています。

今回は男性サバイバーの皆さんの声をご紹介して終わります。

驚いた事に過去つき合った男性の半分以上が幼少期や大人になってからも同性や異性の女性からセクシャルハラスメントを受けたり、軽くトラウマになってる人もおりました。

彼らは私がサバイバーだったので自分の体験を正直に語ってくれた経緯もありますが、それでも職場で上司に股間を触られたり、金持ちゲイ親父の愛人としてお金を積まれた(元彼はのんけだったがとっても岡田君似の美少年だったので。。。)とか、女性の私の感覚でも驚くような現状があるのだと知りました。

女性の場合と異なり、男性の場合の被害者は被害に遭った事を公にしたがらないし、それによって加害者をエスカレートさせてしまう事が少なくない。

今や同性愛もかなりタブー視されなくなって来てますが、男性が無理矢理性的虐待を受ける事に偏見を持ってる人は意外に多いのではないのでしょうか?

女性同様、男性もまた年齢に関係なく同性や異性から性的嫌がらせや被害に遭って苦しんでる人もいるという現状をお知らせしたかったのです。

そしてお子さんをお持ちの親御さんにも是非手に取って読んで頂きたい良書(性的被害を抑止する為に親子で学ぶ絵本)もこちらのサイト内で見つける事が出来ます。

ジェンダーやゲイたちの中では幼い頃に性的被害に遭い、それを両親に逆に咎められたり、受け止めてもらえなかったという経験がある方も少なくありません。

ともすれば、私も同じ道に行っていたかもしれませんし、実際、女でも男でもなく?という道を彷徨っていた感も否めない。つまり性にあまり拘らない生き方であったというか、逆に逆手を取って生きて来たというかね(わかる人にはわかる)。。。

とにかく、こちらのサイトの管理人さんの長年の苦しみと、そこから再生する希望と愛の精神にただただ感謝です!

If He Is Raped
http://www.biwa.ne.jp/~genbu/

長文にお付き合い頂きありがとうございました!