これから出かけるんで、まだ今年の内に短く
今年もいろいろありまして
また、ブログ放置してたりしたのに
こんな私のこと、忘れず声かけてくださったり
遊んでくださったりして下さって
皆さん本当にありがとうございました
また来る新年にもどうぞよろしくお願いします!!
やっべーいってきます
iPhoneからの投稿
今晩はいかがお過ごしでしょうか。
ただいま戻ってきました、かなめです。(`・ω・´)ゞ
いや、実は火曜の夜に帰ってましたけど
どうやら心の整理が付かなくて、ほうって置いちゃいました。
ご心配かけてごめんなさい。m(_ _ )m
ええとー、何から話せばいいのかな。(´∀`;)
わからないから、あの夜のこと、すべて書きますね。
自分でも書いて、覚えていたいし。
あの日は、父と軽くもめて、ワタクシは、少しご機嫌ななめでした。
病院には母と一緒だったから、会話もほとんど母に任せっぱなしで、
祖母と交わした会話も、指を握ってほんのわずかしか。
いつもなら、頭をなでたり、手をぐっと握ってずっと話かけたはずなのに、
ていうか、最後ってわかってたら、RPGゲームみたいにHPゲージ見えたなら
涼しく「また明日ね」なんて言わなかった、帰らなかった。
と、後悔しても、今になっては致し方ないのですが。
もしかしたらーとか、もう長くないかもーとか思ってはいながらも、
電話が来るつい4時間前に会いに行ってたときには、
少し熱とたんせきはあっても普通に話してたし、
体内酸素率が95%なのも、看護士さんが
「普段よりは低いけど、たんせきのせいで、もう少し様子を見て去痰剤を投与する」と
言ってたから、
明日もきっと同じ風に、
良し悪しもないまま、また会えるんだよねーと思ったら
あれが、最後でした。
家に帰ったら、10時ぐらい。
病院行く前に夕飯食べたのに、また少し腹が減って、ご飯食べて、
ニコ生でつんちょの出るミュージカルやってたから、少しだけ見て
ピグ入って、久しぶりにあつき姉さんと話した後、(今振り返ると本当ナイスタイミング)
明日のためにアラムをセットしたところで、
いきなり母がきて、「早く出かける用意して」ってだけ言って去りました。
「なんで?」とは聞きませんでした。
夜の、急なお出かけって、決まりのようなものですし。
黙って、さっさと着替えて、
あ、床には脱いだばかりの靴下が転んでるのが見えたけど、
使っちゃだめなような気がして、新しいの出しました。
黒の服に、せいいっぱい自己主張してる真っ白の靴下。
着替えてリビングに出たら、ようやく母は「おばあちゃんの心臓が動いてないようだって看病の人から電話きたの」と話してくれました。
それまでは、まだ「間に合う」と思ってたんだ。
危急だけど、車を走らせればお見送りはできるんだろうと。
だけど、あれって、事後報告のようなものじゃないですか。
車の中で、叔父さんたちに連絡を入れ、
父は「電話が来た時点で、もう手遅れかも。」と呟きました。
やっぱり「そんなはずないよ!」とは言えなかった。
ただ、もう少し、もう少し、って心の中で願っただけ。
そして、病院に到着。
あの病院って、駐車場からは必ず応急室の前を通ることになってるけど
救急車が来てて、廊下には応急患者の家族が並んでました。
急にドアを開けて入ってくる私たちを、目を丸くしてみてたのを覚えてる。
すれ違う短い間、彼らにワタクシはどんな風に映るんだろうと、思いました。
応急患者?それとも訃音を聞いて走ってきた遺家族?
馬鹿だ。マジ馬鹿だよね。
祖母の病室のある3階に着いたら、
夜の看護士さんは、まだ出会ったことのない初めての顔だったけど、
私たちを見ると、すぐ誰だか気付いて、顔がいっそ曇りました。
案内されるまでもなく、いつもの病室に入ったら、
家に帰ってまた4人で暮らしたい、
時間が早く行ったらいいなぁ、家に帰るから、
あのときはあんたの車に乗って帰るよって
昨日までも言っていた祖母は眠っていました。
とても、深く。
普段より少し白く明るい顔は、私が近づいても目を開けることもなく、
寝息も立てず、ただただ、深く、眠ったままでした。
そして、葬儀社を呼んで、シートに体を包んでいるのを黙々と眺めていたら、
病室の隅にぽつんと置かれた4リットルの液体ビンが目に入りました。
おばあちゃんが検査を受けるためには必ず飲まなきゃいけなかったあれには、
おばあちゃんの名前が書かれてました、さっきと同じく。
なんていうかね。
私はいつもの私のまま、せめておばあちゃんの薬までもがさっきと同じなのに、
おばあちゃんだけが空っぽになって、その温もりも消え、
話もできず、私の手を握ることすらできなくなったことがすごく不思議で、
お見送りもできず、一人寂しい思いさせたのがすごく悔しく、切なかったです。
おばあちゃん自分も、「検査はいつ?」って聞いてたから
たぶん、死ぬつもりはなかったんじゃないかと。
だから、遺言もない。
しいていうなら、普段よく話していた、「運転気をつけて」と「親の言うことちゃんと聞いてね」と、「兄弟仲良く」「指輪はあんたが持ってて」ぐらいかな。
ちなみに、眠ったのは、AM1時25分。低血圧性ショックだったって。
病因はいまだわかりませんが、苦しみなく、自然に眠られたようです。
見た瞬間、本当眠ってるだけじゃないかとも思いました。
しかめたりもしないで、やっと安らぎを見つけたような良い顔だったから。
リューマチスでいつも腫れて、曲がっている腕や足も、まっすぐに伸ばしていたよ。
そんなに願っていたことが、この世を離れてこそ叶えるなんて、おかしい話。
こうなるのが、祖母にとっても、家族にとっても望ましいことだと言い切っていたのに
どうやら、まだ心の準備ができなかったようで
一緒に暮らしていたときも、
病臥でケアワーカーのつく老人病院で暮らしたここ1年8ヶ月も、
総合病院に移って、病態を見ていた18日間も、
自分のことだけにいっぱいになって、
小さくなったおばあちゃんの寂しさが、悲しみが読めなかった頃にも、
(・・・ってか、これずっとですが)
私が生まれる前からそうだったみたいに、
私が生まれてからの26年間そうだったみたいに、
生きてることが当たり前のように思っていたおばあちゃんがいなくなったことは
今まで味わった悲しみの中で一番大きい気がする。
心のどこかが崩れ去ったような気持ち。
陳腐な表現だけど、本当そうなんだ。
考えてみれば、気づいてないだけで、フラグってのはあったかも知れない。
いつも先に「もう帰ってね」って早く送らせようとした祖母が、あの日は言わなかったし
「そんな嘘言わないで下さい。孫たちが聞いてる」と独り言言ってたし、
出すときは綺麗だった車が、帰り頃は(夜なのに)ボンネットに鳥の糞が4ヵ所落ちていた。
ずっと朝晩お見舞いに一番熱心だった父が、あの日は行かなかったし。
叔父さんは、急に12時近くに、心臓辺りが傷んできてたとか。
ことに意味を付与すると切りがないというけど、
今になっては、なんでも一種の「サイン」のように思われて
まったく気付いてなかった自分が、嫌いで嫌いでしょうがなかったりもしました。
ま、何を言っても今更、なんですけど
優しくしなきゃって、もっと一緒の時間を大事にしなきゃって
知ったかぶりで前の記事にも似たようなこと書いたけど、
言い出した私本人ができなかったことは、本当馬鹿くさくて。
二日前には「もう私は毎日は来ないから、待たないでね」なんて、
けしからんことも言ったんだよね。
祖母は「ああ」とだけ、少しふくれた声で、答えたけど
あれも、孫への優しさ。だったと思う。
寂しいけど、「嫌だ。明日も、明後日も、ずっと来てよ」とは言えなかったんだろうね。
振り返れば、おばあちゃんはいつも私によくしてくれて。
両稼ぎの親の代わりに私を育ててくれながら、
時に厳しかったけど、わざわざ私が好きなもの買ってきてくれたり
我が侭きいてくれて、バス停まで自転車とわんこ連れてきて待ってくれたり
私が泣いたら、「泣くなよ。そんなに泣くと体が持たないんだ」と慰めつつ、
孫が泣くのが心痛くて、一緒に泣いてしまう優しい人だった。
手をぐっと握って、「来てくれてありがとう」と小さな声でいう暖かい人だった。
ちょっと大きくなったからって、すっかり忘れていたことに、今気付きました。
私が大人になってから、おばあちゃんは(お年寄り特有の)子供っぽくなって、
器の小さな私は、そんなおばあちゃんを暖かく包み込んであげなかった。
喧嘩腰になって、冷たいことも散々言った。
もちろんおばあちゃんも頭に来たら、返してたけど、
まだ元気で、若い私が受ける傷と
老年の孤独と病気で疲れたおばあちゃんが受ける傷は、
どっちのほうが深かったんでしょう。
いつももらうばかりで、少しも返せなかったんです。
もらった愛を返すどころか、むしろ泣かしてたのかも知れない。
いくら悔しがっても、泣いても、後戻りできないんですけどね。
一つの救いは、
おばあちゃんの最後の顔がいかにもよかったこと、かな。
きっと苦しみもない、痛みもない、神様の天国に行けたんだね、って確信がする。
あ、あと、おばあちゃんは亡くなったけど、
今回のことで、たくさんの親戚に会えて。
中には、あかちゃんの頃以来の方もいたり。
おばあちゃんの双子のお姉さんに会えた時には、前より顔が似すぎてちょっと複雑だったけど、なかなか会えない親戚たちが集まったのも、おばあちゃんの最後の偉業じゃないかと。
多少、時間はかかるんだろうけど、おばあちゃんとはきっとまた会えるから
その時が来るまで、おばあちゃんの遺伝子をもらった私は、
おばあちゃんに恥じかけないよう、生きて行こうと思います。
そしてまた会えた時には、いっぱい伝えよう。
会いたかった、すまなかった、愛してるよ、と。
もちろん、当分は会えないから、思い出して涙浮かべるかも知らんけど、
ほら!うちのおばあちゃんさ、
最愛の孫の私(・・・って言えるか微妙だが)が泣くと一緒に泣く人だからさ。
悲しみを希望に変えて、人への優しさに変えて、踏ん張るわ。マジで。
以上、状況説明とお葬式期間中、思ったこと。
言いたいこといっぱいだったから(しかも書ききれなかった)
若干、文法や流れが可笑しいかも。
そこら辺、テレパシーでどうにか。
あ、そう。今の私は、といえば、
浮き沈みはあるけど、元気で、食事もちゃんと取って、よく寝てます。
最初は、いつもお見舞いに行っていた時間になると動揺してたけど、
今は、まず時計で泣くことはなくなったかな。
少し時間は要るんだろうけど、心配は要りませんよ。
いや、むしろうちの親を心配してください!
最近、娘がすっげー文句つけてきたり、八つ当たりが半端ないのです。
あと、今回のことで気を使ってくださった皆様。
本当に本当にありがとうございました。
やっぱり触れにくい話題ですから、どうやって声かければいいかわからず、
って方々もいたと思いますけど (あれ、自意識過剰?;)
直接に応援や慰めの言葉を伝えてくださったみなさんも、
心の中でエールを送ってくださったみなさんも、
みんな、ありがとうございます。
では、
また!