僕が自覚的に生きる意味を問うようになったのは、高校に入った頃からです。
しかし、小学校に上がるか上がらないかぐらいの幼い頃に、死について思いをめぐらせたことがありました。
夜眠る前、布団に入ったときなどに、いつか死んでしまうということを漠然と思い、胸に不安感がこみ上げるのを感じたのを覚えています。
あるとき、僕はなんとか自分を納得させようとして、こう考えました。
「僕たちは、いつか死んでしまって、宇宙の塵になっちゃう。だけど、その塵には生きていた頃の思い出がたくさんつまっているんだから、大丈夫だよ」。
当時の僕は、そう考えることで、はかなく過ぎ去っていく人生をなんとか現実につなぎとめようとしたのかもしれません。
物心がついたころから、僕は超常現象のたぐいを一切信じたことがありませんでした。そのくせ、とても怖がりでした。
もしかすると、目に見える現実だけを信じたいという思いと、現実を超えたものに対する感性を一緒に持っていたのかもしれません。
しかし、そのような生死をめぐった漠然とした思いは、小学校中学年頃からスポーツに打ち込み出すとともに忘れられていきました。
僕は小学校4年生頃から卓球を始めました。
最初は授業でやっていたのが楽しくなり、部活に入りましたが、もっとやりたいと思って母に近くのできる場所を探してもらいました。そして、中学校の体育館で夜にやっていたクラブに行きはじめました。
その中学校はその後進学することになるところで、そのクラブには後に中学で一緒になる同年代の子たちが集まっていました。
そのクラブでの活動や、クラブで知りあった子と町の体育館で休みの日に練習するのが楽しくなり、次第に僕は卓球に打ち込み始めました。
月曜日以外は毎日のように夜に練習し、休みも一日中やっていました。
さまざまな試合に出るようになり、小学五年生か六年生の頃には県の予選を抜けて地方の大会に出るぐらいになっていました。
その頃は卓球が生きがいになっていました。練習や試合などでは苦しいこともたくさんありましたが、目指す目標があり、それに向かってがんばることは生きることの意味だったようにも思います。
その後、中学に上がった僕は、勉強のかたわら卓球部の活動に没頭しました。
毎月賞を取って全校集会で表彰され、全校の前で「全国大会に出たい」と言ったこともありました。
勉強もがんばっていて、学年で3番ぐらいでした。1年の秋から卒業まで学級委員を務めていました。
女の子にも何人かに思いを打ち明けられる機会がありましたが、なぜか全部断りました。
体は小さく、瞬発力がある方ではありませんでしたが、持久走は得意でした。
負けず嫌いで、周囲には真面目で粘り強い性格だと言われていました。
2年生の冬の個人戦と、3年生の夏の団体戦で、全国大会出場の夢を叶えました。
この頃はたぶん人生で一番充実感のある日々だったと思います。
たぶん僕は、少年時代からある意味で野心家だったのだと思います。
また、人に認められたいという欲求も人一倍強かった。
それがおそらく、その後抱える問題の種になった面もあるのだろうと思います。