禅批判 | 生きる苦しみと希望の記録

生きる苦しみと希望の記録

日々思ったことを書いています。生きる意味について書いたものが多いかも。

今回、土曜の夕方から日曜の午前にかけて臨済禅をある程度正統に継承していると思われる場で、禅文化にどっぷりつかりつつ体験した。
それはやり込めば相当に厳しいであろう修行の様相を呈しており、僕自身も、その経験が禅の経験として真正であるかどうかはいったん措いても、少なくともその道の途上におけるものとしてのその苦行性を体験したと言える。

ただ、あれはいったいなんなのかと考えてみたとき、やはり謎が残る。
あれは、うまくやればなんらかの境地につながりうるようなものなのだろうか?
彼らはおそらくそれを信じているし、少なくともその道の途上でのなんらかの自己の変化・変革を期してこの行に取り組んでいるとは言えるだろう。
それは、日常に徹することだとか、無差別の境地が禅であるなどと言おうが維持されえる動機である。

さて、禅文化と結びつきそれを血肉として展開して行ったと思われるものとして、京都学派というものがある。
西田幾多郎に端を発するこの日本哲学の一大潮流は、常に禅との結びつきをなんらかの形で保ちつつ展開して行った。

しかし、彼らの思想を読んでいると、どれも似たようなことを言っているようで、実際には違うのである。
それは彼らのひとりひとりの独自性とそれゆえの価値を際立たせるものだと言えばまあそうなのだろう。
しかし、もし仮に彼らの哲学が「禅そのもの」の経験を表現したものだとするならば、同一の見性体験に至った者が異質の世界観を展開するとしたら、それはその見性体験それ自体が異質であるか、もしくは同一の見性体験とそこから展開される世界観が一意な結びつきを保っていないことを意味するだろう。
ただ、そもそも彼らの哲学は禅の境地の表現だと言ってよいのか。

西田幾多郎に関して言えば、彼が明治36年8月3日に大徳寺において臨済禅の「無字の公案」を透過したとき、彼は「余甚だ悦ばず」と記したという。
これは、もし彼が臨済禅の奥義を究めたことを事実だとするならば、その奥義それ自体に納得がいかなかったということを意味するのではないか。
実際、それからの彼の独自の哲学の営みは、すでに悟ったものの還相行としてではなく、その納得のいかなさに発するなんらかの取り組みと理解する方法も、存在するのではないだろうか。

西田が傾倒していた禅門は、白隠の系統のものであったようである。そもそも日本の臨済宗の祖栄西の学んだ中国の禅は、さかのぼれば馬祖道一(709-788)の洪州禅に淵源すると言われる。
臨済の「無一物の真人」は、彼の「平常心是れ道なり」、つまり日常茶飯の具体的現実に仏性の全体作用を見て取るものを受け継いだものだった。
ただ実際にはこれは般若空を縁起と見なすインドの仏教から見れば道教の影響下での明らかな逸脱であったとし、この洪州禅を批判する立場も存在するようである。
例えば宗密は洪州宗にたいして、『大乗起信論』の解釈に託してこの二つの宗派の異同と優劣を明らかにしようとしているが、その中には「洪州宗はすべての煩悩をも仏性の全体作用とみるため修行の必要性がなくなり、漸修を認めない」というものがある。
実際には禅宗の修行は苛烈であるが、ただ、洪州系の禅においては日常的現実が重視されるがゆえに形而上学的なもの(それが自己の底にあるとするにせよなんにせよ)が閑却され、「超越的に一なるものがその超越性を維持しつつ体系的に内在的発展をする」というような契機はなおざりになっていると同時に、西田的な論理による究明・求道が一切廃され、不立文字の名の下に現実(それは直接的現実とは違うと繰り返されるのだが)をその日常性において追認するものとなるようにも思われる。

しかし、仮に西田がこの禅の思想・実践に飽き足らず、その先に自らの道を求め哲学をしたとするならば、「禅そのもの」は究極の悟りとは言えないと同時に、そのさまざまに語られる意味不明な表現も、その「悟りを開いた者のありがたい言葉」と単純には言えないことになるだろう。
あのわけのわからない意味深な言葉の奥にその人たちだけがわかっている「真理」を予感し、それがわかればなにか人生が変わるのだと期待し、それを体得するために修行するという流れは理解できるのだが、そうやって不立文字の文化、ある意味では思考停止の文化に取り込まれていって真理を自己確信しているのは、一方から見るとただの思い込みと考えられなくもない。

確かに、ブッダが開いたとされる悟りをめぐって様々な解釈が展開され、その悟りの事実への信(それが歴史的ブッダのものであるにせよなんにせよ)に基づいて修行・求道といったものが延々と歴史的に展開されてきており、それ全体を偽として否定するのは不可能である。
ただ、その展開の一側面・一局面として日本の禅宗をいったん突き放して捉えるならば、「これこそが絶対の真理だ、禅的見性体験を持った人の経験していること、そして彼らが言葉にもたらすものを理解することと彼らの通った道の追従こそが絶対的なものへの唯一の道だ」と言うこともまた制限された見方だと言えるのではないだろうか。

かといって僕に代替案があるわけではないのは確かである。
宗教的要求と言われるものは確かに人間の内に存在するようにも思うし、それは単純にいわゆる「低次の欲求」に還元することを許さない側面がある。
そして、それを満たすことが生の根本的な課題となった人間にとって、この問いに取り組み続けることはある種の宿命だと言えるだろう。

なんにせよ模索を続けたい。

参考資料:論文「西田哲学に見る禅仏教の特質」(井上克人)