みかんは入院中ですが、経過よくいます。




【ここからは批判的な内容が多くあります】









私はみかんが生まれて数日で13トリソミーのブログを調べた時に、在宅になったらどんな風なのか、他の親子さんたちの心の動きはどうだったのか、自分がたどる心の動きや生活を想像することで自分の不安を減らしてその分みかんのケアに気持ちを割きたかった。

ケアも、他の家族たちの心情のケアも、医療的環境を整えるための手配も、医療方針についての要望の折衝も全部私だったから。


役に立たないブログなんかなかった。
医療的なことを知りたいなら論文公開されてるものも、あちこちの病院で公開している資料を読めばいい。
全て同じ症状の子なんていない。
ブログは心に寄り添いながらも情報のヒントがある場所で、私もそうだったらいいなと心に思っていた。

でも、同じ親の立場ではっきりと「3つしか役に立ったブログはない」と書かれたのは結構こたえている。
その後の文も彼がどんな意図でブログを公開しているのかツラツラと書かれていたが、それは私は、もうそれも彼の記事で読んでいる。
彼と同じように私にも記事を書く理由があり、それは彼は、知らなかった。


私のは、役に立たないブログの一つだから。


実生活レベルが違えば、地域が違えば、家族構成が違えば、そのまま在宅環境の参考にできることなど少ない。
診断は禁じられているし、まず推測しかできない。
そんなの大体の人は知ってて、それでも街でよくすれ違うような遭遇がないから、お互いそっと…時に強く寄り添いあっているのだといただくコメントや、あえて反応しない方の優しさを感じていた。
だから余計に、衝撃は大きかった。
書ける事や記録したい事はあったけど、なんだか書けなかった。
今書いてる気持ちを、オトナになってスルーして書くことができなかった。
何よりもう考えるだけで吐き気がして脱力したので、それを伝えたメッセージの返信がきたけど本当に読んでいない。
そして、彼の記事が有益な部分もあるだけに、これもずっと迷った。
書いたら元々ない好感度もなくなるだけ、自分が書けないならそのままやめることも考えた。
でもここでブログ閉鎖したくなかった。
それに私はもう、誰かが傷ついてるからと私が傷ついてることを置いておくのをやめた。
他にも辛い人が、子どもの方が、なんて私の痛みの薬にはならない。


保育園や幼稚園のママ友と一緒だ。


もともと友達な訳ではなく、さらにケアの主体でない人からの言葉なのだ。
役割分担があるのはわかる。
それでも、生活に身を置く人の書いてるブログをそう言い切るのは、彼自身何か…推測はすまい、否定されるだけだ。

私は読者をやめた。
記事のタイトルが見えるだけで、胸が苦しいから。
彼が彼のブログを持っているなら、あの細やかな心配りのママさんの記事を読み続けたかったな。
それはワガママ。

求める内容を、それのある場所に探すことは大事だと思う。
公開記事であれ、匿名での内容を安心して読むべきか、確認する余裕がない中で頼りにならないから無視するのか。
医師であっても、生活の些事を伝えると新鮮に受け止める方もいる。
なってみないとわからない。
なってみないとわからない、というのは使い方によっては拒絶ではなく大きな寛容になる。
だからこそ私たちの子どもも生きようとしていける…私たちも。

来ていたメッセージは彼の妻への心配と同じような内容だったかもしれない。
でも、今の私には不確定要素を受け止められない。
内容を確認できない状態で、メッセージはもうそろそろ消えていくのだろう。
私の衝撃も同じように消えればいいのに。
全て知り合ってるわけでない中で、さらに擦り合わなかっただけなんだ。


そういった理由で、ブログかけていません。
本当不思議に書けない。
自分の事だけの方が、今みたいに、スラスラ出てきます。
彼が読まないといいな、もうずっと。
読んで欲しくないな。


一つ、みかんは胃瘻造設しました。