母を思う | 花好き主婦・華ちゃんの自由気ままなつぶやき

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素敵な景色、言葉、気づき。
日々思うことを自由気ままにつぶやいてます。

今年はじめての投稿。
ようやく、blogを書けた。忙しくて書きたくても書けなかったのもあるし、整理できていないこともあって今の今まで、引っ張ってしまった。
ちょっと暗い話になるけれど、、、
昨年、母を見送った。
以前、姑と父を送ったときにも備忘録のようにblogに書いていて、それをしたかったがそうできぬまま、になっていた。でも、別のところで物語風に残していたものはあった。
それを備忘録のようにして、ここにあげておこうと思う。


親族が集まって撮った一枚の写真。みなが黒をまとい、少しだけ
畏まって収まっている。顔が見えるポジションが決まるまで話すと
笑い声がとだえない。そう、母を見送るために集まったことを忘れてしまうほどだ。にぎやかなことが好きだった母なので、煙になっ
て空に上がる途中、この光景を微笑んで見ていたことだろう。
 別れは突然やってきた。朝早く鳴ったスマホから聞こえる妹の声は真っ黒だった。心臓の鼓動が早くなる。間違いであってほしいと
わきでる心の声。でもその願いは届かず、数時間後に会った母は息をせず、笑っていた。その顔は寝ているようにしか見えないが、こ
の世とあの世の間にある境界線を越えた顔は穏やかだった。私は母の顔にふれ、「お母さん、ありがとう」と声をかけた。
 人間だれしも一つ二つ、人生に黒点を持っているだろう。ひょんなことから黒点ができた地に行く機会があった。最寄り駅に降り立
つと石畳と幅の狭い階段は何十年前と変わらない。”タイムスリップ”して私の少女時代を知る人たちに会った。今はおばあちゃんの、その人は、70数年の苦労した日々を実に楽しそうに話してくれた。
苦楽を共に味わった仲間の一人が、かわいらしい3人の娘を連れていた若き頃の母だと聞かされた。               
 私には、父宛にかかるローン会社からの催促の電話を何度も取っては、日増しに父への疑念と不安が膨らんでいった頃の記憶が鮮明
に残っていた。白い世界に不気味な黒い世界が浸食する。私は自分の不安をかき消すため、人を疑い、一歩引く境界線を作るようになっていた。そしてこの境界線を消すことはできないだろうとずっとあきらめてきたのだ。
 「みんなからかわいがられていたよ」優しい言葉。「…そうか、かわいがってもらってきたんだ」…子どもを3人抱え、大変だったろうなあ。」ふとわいた思いがじわっと胸に広がり、いつの間にか涙がほほを伝っていた。子を持つ母の立場になって過去の世界を見た時、私を支える私以外の温かい陰が見え、
境界線は静かに消えていった。黒点が感謝に変わった瞬間だった。    
 母との別れは、まるで何十年来のわだかまりが消えるのを待っていたかのようだった。”大丈夫。素直に飛び込んでいけばいいんだよ”「そう、まずはやってみよう」。そばでいつも母が見守ってくれているから。