まず、私はものすごく受け身だった。

そして人の言葉がいつしか自分の望んでいることだったと思うようなところがあったよう。


暗示にかかりやすいって感じなのだろうか?


単に自我が芽生えるのが遅かったのかもしれないですガーン


歌を歌いたいというのは自分の意思にあったことだと思うけど

声楽の道に進むことについては

友人に背中押してもらったところがものすごく大きかったです。


今も多分、必要としてもらってると感じられている部分があるから背中押してもらっていると感じます。


それは歌うことにおいても

歌を教えることにおいても


自分ってやっぱり変わってると思うけれど

実はものすごく動物に近いだけなのではないのかな?と思ったりもしています。


子供はいないけれど

人を育てたい思いはものすごく強いし


感覚が動物に近い気もしますキョロキョロ


こんなことは誰も感じないのかな?と思うことをよく感じています。


一般人の感覚で私の話を聞く人も多くて

でも私は見てきたことや感じたことしか話していなくて

そんな両極端なことを経験する人も珍しいだろうし

どっちもわかる人ってそんなにいないだろうけど

私は色んなことにおいて両極端な扱いを経験しているから

どっちの気持ちも結構わかってます。


わからないとすれば

諦める人の気持ちとか

挑戦しない人の気持ちとか

居直る人の気持ちとか

私が経験したことがないことだけです。


他にもあるかもしれないけれど

わからないことについてはわからないって結構ハッキリ言います。


汲み取るということは極力しないようにしています。


空気読んで生きることが長い間普通過ぎたので笑


わからないことはわからないとはっきり言いますし

素晴らしいと思うことは素直に言葉にします。


ま、いまだに先生などにはわからないとは言えないのではないかと思います滝汗


いや、そんなことないかな?


身体の使い方のこと教えてもらってる友達先生にはいくらでも質問出来るな〜爆笑


結局は相手の出してる何かを私は感じ取ってしまって子供の頃から絶対にわからないって言えなくてそれをずっと引きずってたんです。


「ちゃんと教えてるんだからわかるでしょ?」っていう姿勢の先生に聞くことなんて出来なかったんです。

(多分幼い頃から私の視点がおかしいことは何となく気づいていたし…)


それで自分で考え続けたらわかることにも気づいてしまったし…

10年以上考えたことなんていっぱいですが爆笑


今もピアノの練習してると気づくことがいっぱいあるんです。


習ってた時は先生の言う通りに出来るようになることしか考えてなくて

自分が弾けるようになること、自分が楽にミスタッチ少なく弾けることなんて一度も考えたことがなかったようです。


これは私がものすごく受け身で

その人の言葉が自分が望んでいることとなってしまう性質が原因なんだろうな〜と思います。


それで人並み以上に出来ることが多かったから

疑問を持つようになるのが遅かったのだと思います。


歌という大好きなことで

やりたいことを出来なくなって

初めて自我が芽生えたのかも?


パニック障害はそれを私に気づかせてくれたと思うし

そこまでになる環境を与えられたことはある意味でラッキーだったのかもしれません。


自分に力がついて

自分が磨かれて

出来ることと


人に言われたまま出来ること

では

音色も響きも違うということを感じられる耳と感覚が

おそらく幼少期からすでにあり


自分がそれとは全く違うことをやっていたことに気づくために与えられた試練だったように今は思います。


だから私はとにかく音楽がただ好きな人と

音楽活動を共にしていきたいと思います。


プロアマ、上手い下手、ジャンルなどなど

そんなもの関係なく音楽が心から好きな人たちと音楽で時間を共有したいと思っています。


音楽が好きだったら勝手に力はつくと思いますし

自分で何とかしよう(レッスンに通うも含めて)とします。


自主的に自分の選択で音楽を楽しんでいる人たちの音は海外の人たちの音に近いと私は感じています。


本当の基本の基本の

1番の土台のところで

私は一緒に音楽をする人を選びたいかな?って思っています。


自分で何とか出来る人なら

時間がかかったとしても必ず伸びていくと知っているので、現状、どんなに雑でも待てるというか?


ちょっと上から目線ですね驚き


私もちょっと最近雑になって来てるので

気を引き締めようと昨日の練習で思いました真顔


今の私しか知らない人は

すごく自分がある人と思われるかもしれないですがそうではないです。


今も自分のことも人のことも結構同等に見てます。

もちろん関わりがある人のみですが…

自分が良くなるために考えることと同じように

その人にとっても良くなるためには?とその人のこれまでの経験や性格なども考慮した上での出来るだけ最短の道を考えます。


私がわかってやっているところがゴールでも

人それぞれプロセスが違い

それを自分の時と人の時で同レベルで分析して

伝えます。


それもこんなこと他の人は感じないんだろうな〜ということを感じる性質だから出来ることと思います。


歌を聴いていたら感情や考えてることは

ほとんど伝わってくるので。


時に自分の感情を感じないように(脳の防御システムが働き過ぎてる)なってしまっている人は

自分が何を考えているか、感じているかがわからないという人もたくさん見てきました。


元々人の感受性というのは強度も感じることもバラバラですが

同調圧力が強い社会では人と違うことを感じている人間は多数派に感覚を合わせるトレーニングをしてしまい

個性を失っていくことがよくあります。


音楽、芸術の世界でもそれが起こっていることに疑問を持たない方も多く見てきましたし

そっちに従えとまで言ってくる方も結構おられました。


それがいかにおかしなことかは精神的に大人になれば気づけるのでしょう。


未熟な時は誰しも怖いものだらけですし

自分を否定されるのが恐ろしいものだと思います。


音楽という世界にいるならば

まずは人との違いを楽しめないと爆笑


教える時は考え方の違いを楽しみつつ

しかし時にはそれは言い訳でしかなくその人の成長には繋がらないことはしっかり見破っていかないとウインク


なかなか大変だけれど私はとても楽しいです。


自分という人間に向かってしていることと

生徒さんという人間に向かってしていることと

結構平等なんです。


それは根本的に人の能力を信用しているからです。


だから自分より下とか上とかそんな考え方があることさえよくわかってなかったです。


キャリアが長いとか真剣度が高いとか

やる気が高いとか


忍耐力がない人でも何かのキッカケで変われることはあると思いますし

不真面目な人が何かのキッカケで真剣になることもあると思います。

やる気がない人も同様に…


指導者はそうなってもらえるお手伝いをする人と私は思ってるので

今後もそこは貫いていきたいです。


今、出来なくてワクワクしない人も

出来るかも?って思えたらワクワクすると思うんです。


歌という分野で私はそれを表現していきたいですおねがい


先日の歌おう会の写真ですスター

こんなステキな場所で行えています!!


色んなご縁で教室は閉めましたが

細々と活動出来ております。


ありがとうございますラブ