もう教室やめたのだからこんなに考えなくても良いのにな〜と思いながらも…笑い泣き


多くの大人はやる前から出来ない、変わらないという前提の方がほとんどなのかな?とか


それも脳の機能的には防衛反応があるから仕方ないのかな?とか


親子の会話を聞いていて

子供は何でもやってみたい!

となり

それを何でもやってみたら良いと言える大人と

そんな夢みたいなことを言ってないでと言う大人と

もちろんその時置かれている環境にもよると思うし

育ってきた環境にもよるのだろうと思うけれど…


国の将来

つまり自分が生きる将来にとって

どちらが良いのか?っていうことをもう少し考えてみたら良いのでは?と思います。


指導者の仕事として

私は出来る前提、変われる前提で取り組める人になってもらいたいと

教える中では本当の基礎の基礎のところで

負のエネルギーと戦ってきました。


それは自分自身が追い込まれていたというのもあり

どうしてもそのまま諦めたくないという思いから生まれたエネルギーがあったからなのだと思います。


出来ない前提、変われない前提で

何かに取り組むとして

喜びは何になるのでしょう?


それはおそらく人から与えられる報酬でしかないのでしょうね。


人が言った通りに出来て

人から認められる

もしくは金銭を得る


正しいという何かを目指して…


正しいがない音楽の世界ではこの回路では対応出来なくて普通なんですよね。


その回路を変えてもらおうと

たくさんの文章を書き、たくさん話し、説明しても

変わらない場合がほとんどで


その中には今まで作り上げたものを否定されてるみたいという人もいたかな〜


いやいや、ただ別の世界を作れば良いだけのことで

世界を広げ

枠を無くせば良いだけのことなんだけど…


それも伝わらなかったな〜


なぜ、そんなに考えられないの?って思うことは

本当にたくさんあったなと今になって気づくことも多いです。


出来る前提、変われる前提でないから

考えられないのか!!って最近やっとわかったので…


だから劣等感とかが負の感情に変わっちゃうのか〜って。


自分より出来る人はすごいとしか思わないし

目指したい、盗みたいという対象でしかなく

それを才能ある人は良いな〜とかいう妬みの感情に変えたことがなく…


見た目で判断されること

肩書きで判断されること

などにおいては妬みに似た感情を持ったことはあっても

それすらもそれがおかしい原因を突き止めて

変えていけば良いとしか思わなくなりましたし笑


ほとんどおかしなことって

そういう負の感情から生まれた変な風習、または一部の人が得するように作られたルールみたいなものに私は感じています。


そんなものに左右されて音楽をすることって

どうなんでしょうね?


それって純粋に音楽なんでしょうか?


もっともっと深く考えてほしいですね。


出来る前提、変われる前提で取り組んでみてほしいですね。


そうやってみないと

本当にすごい人がすごい理由なんて一生気づかないのではないかな?と思います。


やろうと思っても出来ないこともありますけど

歌はそうではない。


それを詳しく細かく丁寧にずっと説明してきているし

伝わり始めている人もいて

実際にこの前のfreedomの初ソロ、二重唱の練習では驚かされる部分もたくさんあり


でも、私から見るとまだまだ枠だらけに感じる現状の考え方でそのぐらいの力が発揮できるならば

もっと枠がなくなれば

もっともっと力を発揮できるはずよね〜とも思いました。


余裕で私なんて超えれるでしょ?って思いました爆笑


早く超えてほしいな〜


昨日、昨年共演した方より歌って欲しいと依頼頂きとても嬉しかったですスター


こんな感じで私は私で自由にやってても

勝手に出来る範囲精一杯することが普通になってくれたら

私はもう一つ離れた場所から見守ることが出来ますウインク


早くそこに行きたいびっくりマーク


私は歌うことが苦手な人に歌うことが楽しいと思ってもらうことの方がやはり燃えるし

出来る前提、変われる前提で楽しんで取り組める人にもっと多く出会いたいかな?


それがおそらく私が夢を持ち続けて生きる原動力になるから。


歌の翼に(一昨日の練習)


最近、ハマってるわらびもちラブラブ