今日はクリスマスイブのコンサートの最終の合わせでした。


体調は頭痛(周期的なやつ)があってあんまり良くなかったですが

そんな中では2曲を除いては割と納得のいく感じで歌えましたウインク




あと数名はご参加頂けますので

聴きに来たい!という方はご連絡お待ちしております。




今回は来年3月スタジオ閉鎖ということもあるのか

生徒さんがたくさん来てくださいます。


初めて私の単独のコンサートを聴いて下さる方も結構多いので私の世界観が少しでも伝えられたらな〜と思いますおねがいがんばりますびっくりマーク


まだクリスマスコンサートは終えてませんが

すでに次にやりたいコンサートのイメージが少しずつ膨らんでいます照れ


しばらく片付けに専念しないといけないはずだったのですが…爆笑



さて、タイトルの件ですが

合わせの後に友達に歌を教えることが「いかにつまらないか」というのを熱弁してしまいました笑


よく考えると

その教えるというのは

単なる注意しかさせてくれない方に対してでした。


原理上

音を上げる、下げる

発音が変わる

これらを同時に行う時が不具合が起こることが多く

これの原因と練習方法はどなたにも

はじめからお伝えしていて

これはどの曲にもどのジャンルにも共通することです。


そこを自分で把握できている

例えばミスしたとしても原因が自分でわかっている、またはある程度は自分で直せる人に関しては「つまらない」と感じることはありませんが

そこを繰り返し毎回注意しないといけないのは

本当につまらないというかしんどいです。


音や感覚として理解していれば

その意識は瞬時に生まれるでしょうし


今出来ていなくても理解していることがわかれば時間をかければ出来るようになるだろうと思うので

それは注意する対象ではないです。


その場合は何が違うかわかってるか確認すればオッケーなので特にしんどくもないです。


そして、そういう人には音楽的なことをお教えできるのでそれは楽しいことです。


例えばリズムとかレガートとか言葉のアクセントとか音楽のアクセントとか。


メロディから色んな想像を膨らませるお手伝いとかも本当に楽しいです。


自分が何年も発声を学んでなかなか身に付かなかったので

発声はわからないことだらけで難しいものだと思っていましたが

はっきり原理を理解すれば全然難しくなく

ものすごくシンプルです。


理解するのはものすごく簡単で

それをコントロールできる感覚や感性を身につけるのに時間を要するだけなのです。


そこまでわかってしまったら

ごちゃごちゃ言い訳したり

やりたいこと、出来ることしかやらずに

感覚磨かない人とか

ホンマに真剣に歌やりたいのかな〜?って思ってしまいますね爆笑


わかってしまったら

歌を教えられる人は本当に少ない驚き


注意ばっかり汗うさぎ


私は音楽において注意なんかは誰にもしたくないです。


注意することが教えることと勘違いしてる人も

注意されることを習うことと勘違いしている人も

本当に多くて疲れます。


自分自身が育たんと

歌なんて育たんと思います。


注意されたことだけ出来るようになったら

果たして人として成長するのでしょうか?


自分の感覚としては

注意されたことを直そうとし続けた結果

自分が無くなったという感じでした汗うさぎ


理解してたらそうならなかったかもしれないですが訳がわからなくて理解が全く伴ってなかったので笑(私がアホ過ぎるので先生方がおっしゃることは私には難解過ぎました。)


やっぱり理解することはとても大切だと思うんです。


注意されたことを直すのは

理解することとイコールなのでしょうか?


私の脳内では全く別物なので

今でも注意されて直したことについては

自然にするためには結構な時間をかけて

自分の感覚を修正しています。


今日上手くいかなかった2曲も

過去に理解が伴わず歌っていた場所がしっくりいかずでした。


あと2週間弱あるのでもうちょっと何とか出来たら良いな〜と思っていますグラサン


こんな心境になる日が私に来るとは

スタジオをオープンした12年前には思いもしなかったことでしたガーン