私は自分の歌については
出来なかったことが出来るようになった!という喜びだけでここまで来てます。
習っている時は
その喜びが全くとは言いませんが
ほぼほぼない状態だったので
歌を続ける理由もよくわからず
でも辞めるのだけは嫌で
習うこともやめられずにいたんだと思います。
習うのやめたら
発声全く出来てない(とずっと言われてた)人のまま
何も分かってない、何も身についてないのに
20年近くただレッスン料を支払っただけになります。
それにクラシック音楽をオペラ歌手のように歌えるようになってみたいという思いはありましたから。
自分が自分の耳とか感覚の鋭さに気がついていたなら
何を言われても自分が間違っているとは思わなかったでしょうが
当時の教え方が基本的に耳や感覚ではなく
やり方、方法ばかりで
そのやり方、方法は
どれも違和感や痛みがあるもので
敏感な私は結果的に喉を壊すか身体を壊すか精神を壊すかのどれかに向かうしかなかったのだと思います。
だいぶ話が脱線しましたが
私は出来るようになったらそれが嬉しくて
また次に進みたくなります。
出来てない自分のままでいることは
私の高すぎる自尊心が絶対に許しません
そうなんです。
私って多分、自尊心、プライドがめちゃくちゃ高いんだと思います。
人を見下げて自分を保っている人とかを見ると
心底哀れに思えてしまいます。
自分より劣っている人が存在しないと生きられないなんて私は絶対に耐えられませんね。
教えることについても
誰でも出来るようになることが教えられるようになるまでは
絶対に納得したくなかったのです。
でも、これはもう考え方の違いで
人から与えられて
人からの褒め言葉などの報酬を得ないと
音楽が楽しめない場合は
私の言ってる内容はおそらく伝わらなくて
それはもう仕方ないと納得出来ました。
それもある意味社会が生み出した考え方?なので
私には変えることが出来ることではないと諦めました。
日曜日のコーラスの練習と
昨日のシニアコーラスの練習では
楽しそうにのびのびと歌っておられる方が結構おられて
そのエネルギーがだいぶ伝わってきました♪
真剣に逃げずに続けてきた人は
確実に力がついてきています
それを実感できて
私はまたまた大きな喜びを感じております。
その喜びでまた色んな行動が出来そうです
今日は一つ大きな嬉しいことが決まりました。
ようやく私も自宅で自由に練習出来る部屋が持てそうです
夫に感謝です
ただ片付けが大変
でも、スタジオ行かなくても
休みの日でも家で練習出来るようになると思うと
そんな大変さは全く苦でもないです
物が多過ぎる状態から
少しずつ減っていくだけで
なぜか疲れよりも元気になってる自分を感じている自分もいます
やはりシンプルが良いですね〜
考え方もお家も
昨日のコールグランツの練習。