3日後に迫ったコンサートのプログラムなどを今日は作っていましたびっくりマーク



自分が楽しむためのコンサートというスタンスでなければ

延期もあり得たのかもしれないです。


そこの自問自答をする為にも

今回の経験はとても必要だったと思っています。


お陰様で喉の不安もなくなりました。


ただ、練習不足なので

その点は思ってる通りにいかないことは色々ありますが

こんな時こそ自分が楽しむことを!

自分がこの状況でも楽しめるのか?を試したいと思いますウインク



さて、タイトルの件ですが

長年のレッスンやその他の音楽の経験から

「自分の納得行くところまで学ぼう」という姿勢の人は意外と少ないのかな?と感じることが多かったです。


自分がそういう考えだと自覚したのは

パニック障害を克服している間に

ひたすら自分と向き合ってきた時でした。


レッスンにはずっと通っていましたが

自分なりに歌いたい歌がずっとあり

ある時は当時の先生に

「誰かの真似をしてるのではないか?音楽を聴き過ぎて影響されているのではないか?」と言われたこともありました。


当時の私は言うほど音楽は聴いていなかったのですが

過去に色んな音楽に触れていたので

自分なりに表現したいものが常にあったのだろうと思います。


オペラ等の合唱に参加しても

自分の歌を磨くより

人を蹴落とすことに夢中な方々もおられ

その行動がとても謎でした。


音楽の世界は本当は自分が納得行くところまで勉強しよう!というのが基本にあって

レッスンに行くのも

自分一人で納得できないところがあるからなのではないのかな?と私はずーっと思っています。


自分の経験からいうと

そういうスタンスでレッスンを受けていたことは

過去には一度もなく

先生のおっしゃる通りにしなくてはとずっと思っていました。


そのイメージを自分がレッスンをしていくうちに

少しずつ壊してきて

それを確信に変えてもらったのは

先日お断りしてしまったピアノの発表会のピアノの先生のレッスンでした。


「自分の満足度が何よりも大切」と言ってもらって

私はレッスンを受けるより

自分で模索するのが楽しくて一番満足すると感じました。


もちろん

「幼少期からの先生のおっしゃる通りにする」ということで

模索する材料になったものもあります。


でも、それは私が常々自分の表現したいものがあるタイプだったからなのです爆笑


先生の言う通りにすることが何よりも大切と思っていると

自分の納得行くところがどんどん無くなってしまうことがほとんどで

聴く耳も何も出来てないのに

「先生の言ってる通りだからこれは正しい」

という判断になったり

完全に多様性を無視した物差しが一つしか存在しないような価値観を持ってしまい

結果的に自分の枠を狭め自分を苦しめることになったりします。


自分を苦しめるだけならまだしも

人に価値観を植え付けるような言動をしてることにも気づかない場合もあり


つまり人の自由を奪っていて


ある意味、法律を犯しかねないことをしていることにも気づかないような人も存在する場合があります。


ちょっと大袈裟な書き方ですが笑い泣き


ま、自由を奪われていることにも気づかずに

何なら先導してもらえることを楽だと望んでいる人もおられるかもしれないので

私の考え方の方がおかしいと思われる方がほとんどでしょう爆笑


でも、音楽というものには

作曲家が作ったものは

作曲家に敬意を払い

自分の待てるものを全て動員して

精一杯表現するものであり


その曲を作った人以外の何かに従う必要は本当は全く必要ないのです。


作曲家が残してくれた音楽を

精一杯、表現したいという思いの方がたくさんレッスンに来てくれたら嬉しいですおねがい


8月の残り空き時間、更新しました。


8月は比較的、土日の空き時間が多めです。

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