歌うことにおいては

間違わずに歌うことと

自分の抑制のない自然な良い響きの声を出すことでは

真逆の感覚になってしまう場合もよくあります。


間違わずに歌うことは

よく間違う人間にとっては

長年の経験で抑制になってる場合があります。


私はピアノを始めた時から

間違わないように弾くことだけを

求められているように感じて弾いていたし


歌も雑音の入らない音を出すことと

音色が変わらないことが何よりも重要と感じて

長年歌ってきました。


その頃の自分の音源はないのですが

(なぜならレッスンを録音することがあまり良くないことと認識していたからです。私は生徒さんたちには録音しないとわからないからした方が良いのでは?とよく言います。これも自分が全く録音せずにレッスンを受け続けて18年習っても何一つ満足にできるようにならなかったからです。)

抑制が強過ぎて響きがあまりなく

「声が細ってしまっている」と指揮をイタリア本場で学ばれてきた方に言われたことがありました。


その言葉が今の私のレッスンにはヒントになっています。


解放できてない人に

抑制ばかり教えてしまうと

本来の声が出ることはないですし


抑制で音楽を作り上げることに違和感がなくなってしまうと

ある意味マシーンのようになってしまい


音楽を感じることより

正しく歌うことが何よりも大切な思考回路になってしまうとこれまでのレッスンで感じました。


そこに人前で恥をかくことができない性格だったり

人前で指摘されることも嫌だったり

人から悪く思われたくないと思ってたり

(自分が自分で見えていれば悪いところがない人なんてまずいないでしょう爆笑見える人には隠したところですでにバレています。)

が重なるとどんどん自分の感じていることは無視して

否定されないところを目指してしまうことになるでしょう。


それも一つの音楽の取り組み方なのかもしれないですが

私は自分の人生と同じく

自分の歌にも自分である意味の責任を持って歌える人を育てたいと思っています。


自分で自分のことがわかっていないと

責任の持ちようもないですし

自分が今できることを精一杯出来たのか出来てないのかもわからないでしょう。


だからレッスンでは「今のは自然に声が出ている」というときの感覚が掴めるように

良い時を明確に示しています。


良くない時は何が良くないかも事細かく説明しているので

感覚が鋭い若い生徒さんは「今のは○○だからダメだ。」と自分で勝手にやり直してくれます。


自分が出したい声で

表現したいように歌えるためのレッスンを

目指して今後も試行錯誤を続けていこうと思いますが

現段階のレッスンでも枠のまだ少ない若い世代にはかなり効果的だと思います!!!!


自分で理解して

自分で表現出来るように。


それが出来る人が増えれば

日本のクラシック音楽の世界ももっと変わっていくのではないかな?と思いますキラキラ


昨日の晩ごはんは和食。