風立ちぬ見てきました。

思う所は多いんですが、今回、少し気づいたことがあります。
宮崎さんの作品の、最後の山場っぽいようなシーンをざっと思い出してみたんです。
シータがパズーに秘密の呪文を教えて唱えるまでの間のシーンとか、アシタカとサンがシシ神に首を返すシーンとか、千尋が昔、ハクに助けてもらったことを思い出すシーンとか。
で、今回は主人公(堀井二郎)が夢の中で嫁の幽霊(?)に出会う所が最後の山場にあたる気がします。
「あなた、生きて、生きて」って言われて、ジローちゃんが涙ながらに
「生きねば!」と決意するっていうシーン。
で、気づいたことっていうのは、
「こういう場面には大体、オジャマ虫がいる」
ってことなんです。
シータとパズーの前にはムスカ大佐がニヤニヤして立っていますし、アシタカの足元にはジコ坊が死にそうな顔ですがりついていますし、千尋とハクの上空ではネズミとハエドリがヘラヘラ遊んでいます。
で、風立ちぬにはカプローニ伯爵っていう食えないオヤジが一緒にいて、号泣しているジローちゃんに向かって、すぐさま
「ま、ワインでも飲むかね?」
なんて冷めたようなことを言うんです。
これ、かなり意図的に山場にはオジャマ虫をいれるようにしてるんじゃないかしら。
私、こういう描写、とても良いように思うんです。
なんでかっていうと……私、主人公と主要人物がシリアスに盛り上がってるシーンがどうしても受け付けられないんです。
引き合いに出して申し訳ないんですけど、私、おおかみこどもの雨と雪が無理なんです。
あの、雨が花に別れを告げるシーンとか、拒絶反応が起こります。
どうも特定のグループ内の世界で盛り上がってるシーンが駄目で、ムードに飲まれまいと踏み止まってしまうんです。
画面が直視できなかったり、辺りを見回したり、心の中でイチャモンをつけたりしなきゃいけない気がして、内容が頭に入ってこない。
フィクションの世界の人間がどんな決意をしようが知ったこっちゃないし、コイツらに心を奪われたりするのは間違っている……って心のどこかで思っている気がします。
だから、誰かソレを言って欲しいんです。
でもこのオジャマ虫が画面の端にいてくれると助かります。
あいつらは主人公達のムードに飲まれることはありません。
これらは必ずしも頑固だったり反抗分子だったりする必要はありません。
主人公達の会話に興味を示さない、それだけでいいんです。
ムスカ大佐はラピュタ王になることしか考えていませんし、ジコ坊は死ぬか生きるかしか考えていませんし、ネズミは何も考えていません。
カプローニ伯爵はまだマシですが、結論が分かり切っているような口ぶりで、やはり主人公達の会話に興味を示しているようには見えません。
こいつらがムードに飲まれないでいてくれるから、自分が飲まれてもいいかと思えるんです。
安心して物語を楽しむことができます。
でも、こんなの多用したら絶対画面がうるさくなります。
こういうキャラをさり気なく使えるのって、結構凄いことなんじゃないかしら?
そんなことを思ったりしたんです。