こんにちは。
ここ数年、継続して本を読むことができませんでした。
たまに1冊読んでもそれきり、読まない日々、という状態。
一方で、
SNSやネットの情報に触れる時間が
長くなればなるほど
やはり本が読みたいな、
と思う日々でもありました。
そこで2月。
帰省するのに6~7時間ほどかかる
その時間を使って本を読むことに。
リビングにある大きな本棚の本は
どちらかというと仕事で使ったりするような
ちょっと小難しい本が多く、
もっと気軽に読めるエッセイや小説をお供に選びました。
(その間にちょいちょい小難しい本を挟む)
電子書籍で読んでいるので、
白黒ですが、
これ、よかった!
ブレイディみかこさんの大ヒット作
『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』の続編。
ようやく読みました。
階級や貧困格差の激しいイギリスで
著者のお子さんが元底辺中学校へ通うことに。
お子さんやその周辺の生徒たち
ブレイディさんの暮らす元公営住宅地の変遷等を通して息子さんは精神的にどんどん成長していくのが伝わってきました。
ちょっと切なさと寂しさも感じながら読みました。
前作より、著者の視点が前面に出てきていて
(息子さんの成長と共にその内面を話してくれなくなった)
1も2も私はどちらも好きです。
ブレイディさんによって、切り取られた日常の風景やふとした登場する人々の言葉に電車の中で何度も泣けてきました。
根本的に人間への信頼(どうしようもなさを含めて)があって、優しいのです、まなざしが。
移民の流入に差別や偏見、貧困、自己責任論の強まりなど、いろいろ考えさせられます。
息子さんが「社会を信じること」を中学生で考えようとしていく姿勢にもハッとさせられました。
(結論が出るような話ではないのですが)
ブレイディさんつながりでこの小説も読みました↓
著者の本はコンプリートしたいのですが、すごい、この数年でめちゃくちゃ本出してる…!
こちら『両手にトカレフ』はイギリスの貧困家庭ではたから見れば虐待を受けて育った中学生のミアが、金子文子の書いた文章に救われながら希望をつかみかけていくお話。『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』では描くことのできなかった子どもの世界を描いたそうです。(ノンフィクションでは書けなかった)
今生きている世界だけがすべてではなく、どこまでも広がっていること、子どもがつながれているその世界から抜け出すことができることを伝えています。
金子文子は大正時代に生きたアナーキストで、内縁の夫の朴烈と共に関東大震災後につかまって23歳で刑務所で亡くなりました(朴烈はその後生き延びる)。
壮絶な子ども時代を生きた文子の自伝に主人公のミアは自分を重ねていきます。
ミアのその後が希望に満ちたものであってほしい、と願いながら、現代への問いかけとして読みました。
そしてもう一冊。
フランクルの『夜と霧』
人間て、、、人間て、、、、!!!
(あまりにも内容がヘビーなので、また書けたら書きます)
あれ、なんだか気軽じゃなくなってきたぞ…(^^;
旧版の翻訳者はフランクルと親交のあった心理学者の方だそうで、
旧版も今度読んでみたいな、と思います(新版とは結構違うらしい)。
そのほか、𠮷本ばななの『デッドエンドの思い出』も読みました。
私にはちょっと怖かったです…。ただ、吉本ばななさんは人生の一場面を切り取る天才だな、と思いました。
こんなふうに読書をするための
時間をとってみたら
すごくぜいたくな時間を過ごした気分になり、「ああ、私にとって豊かな生活ってこういうことか」としみじみ思ったので、3月もできるだけ読みたいと思います