こんにちは。

 

雨がしとしとしとしと雨

 

昨日は、午後から学習会へ行って、そのあと映画を観て、と何だか盛りだくさんな一日でした。

 

今日はちょっとでも片付けを進めよう、と手始めに自分の仕事部屋を。

 

えーと、ですね、私の仕事部屋、ここしばらく荒れていたのです(;´・ω・)

 

わわわ

 

 

 

なぜこんなことになっているかというと、、、

雨戸の掃除をするのに仕事机にしている天板を外したままだったり(←いつの話だ)

旅行に行ったきりでバッグの後始末(コロコロを拭く)をしなかったり、

必要な書類をぐちゃぐちゃと出しっぱなしにしたり…・

 

ということが積み重なったのです。

 

寒くて、しばらく仕事部屋として活用していなかったので、すっかり物置状態に。

 

ここが汚れているとリビングにも物が連動して出しっぱなしになる!

モヤモヤモヤモヤモヤ……(。-`ω-)

 

ということで、15分片付け

 

キャリーバッグのコロコロの足を拭いて、

机の天板を戻して書類をまとめて、掃除機かけて。

 

ハイ!

 

 

 

あ~、スッキリした(*´ω`*)

 

一時物入れを設置しました。

 

 

一応、雑誌も手紙類も書類もそれぞれ置き場があるのですが、、、

 

緊急の物や必要なものなどを結局各所から出して出しっぱなしにしてしまうのです。

そこで、「現在」必要なものを一時的に置くことのできる場を設けました。

 

多分、私の性格的にこちらの方がスッキリと生活できそうな気がしています照れ

定期的に見直すことを忘れなければのはなしですが…ゴニョゴニョぶー

 

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さて、昨夜観た映画『砂の器』のことをどうしても記録しておきたい。

長いです、どうぞ、飛ばしてください(^^;)そして作品の重要な部分の内容を書いています。

あまりにも有名な1974年の作品です。

砂の器のイメージ画像1

近年観た映画の中で正直、一番良かったです。

主役の刑事は丹波哲郎。殺人犯で指揮者・ピアニスト役は加藤剛。

 

初めて観ました。

『砂の器』については、松本清張の原作も読んだことはないし、中居くんのドラマも見たことありませんでした。

 

私の記憶にある丹波哲郎は霊界(?)について語る人で、加藤剛は大岡越前で、森田健作は千葉県知事で…

そんな俳優さんたちのまあ、かっこいいこと!

 

下知識は、ハンセン病が背景にある、ということくらい。

「うわ~、俳優さんたちかっこいいなあ~」、と、ぼややん、と途中まで見ていましたが…

 

殺人犯がオーケストラとピアノ演奏をする中、刑事が事件の真相を語り、殺人犯が幼いころ父と旅する情景が映像で映し出される後半は圧巻でした。

 

見聞きしてきたけれど、映画の中でのハンセン病の世間的な扱われ方の重さに衝撃を受けました。

 

父親がハンセン病に罹患した家族は、離散状態に。

父は息子を連れて村を出て旅をする。

乞食としての施しすら受けられず

保護されるも父子は引き離され(仕方がないのですが)

父は療養所で子のことを思い続け

子は戸籍を偽って別人としての人生を歩む。

 

そして、成長し、音楽家として成功しつつある息子は命の恩人を殺害する罪まで犯す。

 

父は会いたくて仕方ない我が子の成長した写真を刑事から見せられ、

「こんな人は知らない」と嗚咽する。

 

子は思い続けた父に、音楽の中でしか会うことができない。

(このくだりを刑事(丹波哲郎)が語るのも興味深かった)

 

親と子の関係に、断つことのできない「宿命」を負わせていく社会的な偏見と差別……。

 

***** *****

 

『砂の器』というタイトルについて、夫が「どういう意味なんだろう?」

とずっとぶつぶつ言っていました。

 

私は単純に、砂でできた器は水や風ですぐ崩れてしまうように、自分を偽って生きざるを得ない殺人犯のもろさ、人間の虚構を現わしているのではないか、と思いました。

 

私の話に夫は全く納得しません(笑)

 

松本清張がどういう思いでタイトルをつけたのかはわからないのですが、うーん、としばらくうなっていた夫の解釈が面白かったです。

 

夫はこの映画のテーマは「矛盾」だ、と。

 

「砂の器」は、器であるのだから、水を注ぐためにあるのに、水を注いだら崩れてしまう

→「砂の器」は「矛盾」の象徴なのではないか。

 

親子であり続けるためには、親子でない、という状態を続けなければいけない。

父は、息子のことを慮るからこそ、息子であることを認められない

父親に会いに行くことは、息子にとっては「現在」の自分でいることを否定することになってしまう

 

だから、偽らざるを得ない。

そうしないと居られない

 

偽って生きていくしかできない

 

矛盾が宿命

 

親子二人で 周りから見放されて旅をすることも

父が療養所で息子に会いたくても会えないことも

息子が父と離れ、自分を偽って生きていくことも

どれをとってもつらい

でも、どうしてもその苦しみから逃れることができない、という宿命

 

(そのくらい、過去の時代におけるハンセン病への偏見・差別の重さがあった。

このことは、私を含め、なかなか若い世代には理解できないことかもしれない。)

 

 

******

 

悲しすぎるよ。。。

そんなことをつらつら考えた休日でした。

 

父子の旅に焦点を当てたのは映画独自とのこと。

人間の重層的な思いを映画で見せた脚本の橋本忍さんと山田洋次さん。

すごい~びっくり

 

さて、いつおうちが年越しモードになるのやら。。。(;´∀`)