今年は元日から地震が来て、

2週間以上たった今でも北陸地方はまだずっと揺れ続けてて不安が続いてる。

ニュースは見るけど、

苦しくてあまり多くは見てられない💦

もう揺れないでーーっ。


これは私なりのだけど、、

揺れたら外に出てください。 

火を消して。

外に出たら上と左右に注意して。

靴は必ず履いてください。スリッパでもいい。

食べ物と水をできるだけ沢山入れたバッグを用意しておいてください。

ちっちゃいラジオがあると便利です。

小銭を持っていて。

声を掛け合って。


東北の3.11の地震よりももっと昔の

1995年1月17日には

阪神淡路大震災が起きました。

ちょうど29年前の今日、

私はその大地震で被災しました。

被災ってなんか大袈裟。。

その地震で、、生きてました。


生きてて沢山お芝居できて、振付できて、周りの人たちもいい人ばかりで、みんな元気でいられて、 

感謝しかないです。



重々しくなるので

普段はあまりこういうの書かないけど、、

どうやら10年くらいに一度くらいのペースで

『書いておこう』

みたいな気になるようです。笑 

今日はその日みたい。笑


人間って、

嫌すぎる怖すぎる記憶って

記憶から抹消させる機能になってるらしく

被災当時から恐ろしかった記憶は断片的にしか覚えてない。

断片だけどすごく鮮明。

結局鮮明なんかいっ!


その断片は、

まさに富士急のジェットコースターと

ディズニーのタワーオブ・テラーに同時に乗ってるみたいな揺れと、

見たことのない真っ赤で燃えてる家屋と、

地面に落ちてる屋根と、

ありえない遠くまで見えた景色と、

前日の夕方の空が真っ赤だったこと。

上がった受話器から

ピピピ 

と音がして受話器を耳に当てると

全然知らない人と電話が繋がっていたこと。

(非常電話と混線?)

学校に何ヶ月も行けなかった(日常の記憶薄…)

校舎が真っ二つになってたこと。

みんなパジャマと草履のまま外にいたこと。

寒くなかったこと。

近所のおじさん達が集まって

倒壊した家の瓦礫から人を救出しようとしてる姿、

その後『あかん無理や…』と呟いたこと。

学校の先生が町内を回ってみんなの安否を伝えてて

『あいつは…あかんかったわ』の声。

昨日すれ違った近所の優しかった

おっちゃんやおばちゃんがもういないって知った。

もう2度と顔をみることはできないって分かった時のこと。

煙と埃のへんな匂いと色。


ほーー、結構覚えてるやん私!

昔より記憶蘇ってるかも。

でも逆に鈍感になってる気もする。


こんな記憶が何になるんだろう。

こんなの書いて怖い気持ちにさせるだけじゃない?何か役に立つのかな。

分からないけど忘れちゃいけない気がするから

書いてみたよ。



12年前にもどうやら書きたくなってたみたい。

リブログしてみます。

尖りまくった変な文章だ!笑

そして超プライベートな内容だ!笑

これこそ断片的で分かりにくいやつだ。

読んでもらうに値しないかもだ。

ごめんね🙏笑


ここに出てくる〝由香〟は私の幼馴染。

倒壊した家屋に閉じ込められて火が回ってきてしまった。

当時はまだ怖くて悲しくてはっきり書けなかった。 

今日は書けた。

忘れないでねわたし。


もう29年だって。

本当に半世紀なんてすぐだな。

年老いて汚れたってどんどん前に進むからね。

見ててね。


まぁさ、

時が来たらまた健康に生まれ変わって来たって

ええんやで😃