昨日、無事に告別式が終わりました。
はっきり言って疲れました。とてもとても。

言い様のない疲労感です。
昨日は帰宅してすぐ薬を飲んで寝てしまい、夫が家事をいろいろやってくれてたので、9時頃起きて軽く夕飯を食べ、また眠りました。

明日から出勤します。
父がいないこと以外は、また日常に戻ります。



下に書くことは、闘病中の方や、支えるご家族のかたは、読んで辛い思いをさせてしまうかもしれません。
構わず、スルーしてくださいね。

あくまでも、私の父の記録です。



2018年年明け(亡くなる1か月前)は、このブログでも書いたように、体力低下はしていましたが、父の実家(車で三時間弱くらい)に泊まりで出掛けることができ、数百メートルある参道を歩き参拝もでき、食事もそれなりにとれていました。
実家では、弟妹、甥っ子姪っ子と、数時間楽しくおしゃべりしていました。


1月中旬頃から、ややお腹の膨らみが目立ち始めました。父は腹水が増えたと思い、落ち込んでいました。

1月20日くらいから、昼間出かけていたパチンコに行かなくなりました。お腹が時々、つるような痛みがあると言ってました。

1月16日 14クール2回目
今までの副作用の期間よりも長い期間苦しんでいたように思います。

1月23日 最後の抗がん剤

1月25日頃 副作用が今まで以上に酷くなる

1月26日 下の子の保育園のお迎え これが結局は最後となってしまう。先生からは、いつもの様子と同じだったと後から言われたけど、本人はしんどくて、誰かに声をかけられたけど返事ができなかったようなことを言っていた。

それ以降、ほとんど食事がとれなくなる
インシュアは頑張って飲んでいました。
ゼリーやヤクルトも一口ずつ。

うちの父は、「生きる」という気力がこのとき既に少なくなっていたように思います。
食べたくなれば食べるけど、食べたくないから食べないんだ、という意思だった気がします。

1月31日 かかりつけ受診
お腹がパンパンで、腹水を抜いてもらうために受診したところ、エコーとレントゲンで、腸にガスがたまっていると指摘される。浣腸し、排便をしたら腸が少し動きだしたため帰宅

2月1日 介護保険申請 包括の人訪問
時々鳴る高音の音で、イレウスの傾向を指摘される

2月2日 朝、お粥を一口食べられたと聞き、ちょっと安心した。夕方行くと既に寝室で寝ていた。痛みが波のようにくるが、その頻度が多くなっていると私に訴える。

私は父にこのとき、
とりあえず、抗がん剤は休もう。まずは痛みを取ってもらって、少しでも食事がとれるようにしてもらおう。体力が回復したら、また抗がん剤は考えよう。もし抗がん剤使えなかったら、痛みを取ってもらいつつ、生きていこう。

そう言ったら、父はうん、と答えました。

翌日、通院し、入院となってしまいます。
また先は後程書きます。

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