あんの頃は!!
ハッ!



ど~も
ボーチャン改め
和田アキボーです
(ナゼにアッコさんかは昨日の記事を
読んで頂ければわかりますムキー)



今朝は昨日の過度な運動が
筋肉痛で出るかな?
と思いましたが
まだ大丈夫、元気です
ふくらはぎが少々ヤバめです
(歳とると2~3日後にくるとも
聞くので油断できませんね)









昨日ニュースで
保険会社のCMでもご活躍された
山下弘子さんが25歳という若さで
死去されたと知りました


ワタシががんを告知され
今とは比べものにならない恐怖の
毎日を送っていた頃
たまたま観たニュースzeroで
山下弘子さんの特集が放送されていました


次女ちゃんのこの写真の頃です

Amazonプライムフォト2016年
次女(当時1歳7ヶ月)
ごめんよ熊と遊んでいたんだね(ToT)





次女1歳のときに
ステージ4のがん宣告

人生はたった1日あれば
一変することを身を持って知る




それでも主婦です
洗濯、掃除、食事作り、、
最低限の家事はやらねばならない

そこに
思春期の長女
やんちゃ盛りの次女

一時鬱状態だったワタシは
とても次女と一日中2人で
いる余裕なんてなくて
ダンナがお休みの時は
次女をダンナに丸投げして
シクシクと布団にくるまり泣く日々です




当時仕事もしていましたが
時間の融通がきく職場だったので
年少さんになるまでは
母に少し助けてもらい
保育園は行かせず
仕事も続けながら子育てする
予定でした


しかし
こんな病気になっては
闘病と仕事と子育ては
ややハードル高し。。


保育園は告知されてから
わりと早い時点で申し込みました

病気という理由では点数が
かなり低くなってしまい
希望の保育園は難しくなるし

幼稚園に関しては
保育時間が短くて
保護者の役員や行事が多いことから
この先絶対に無理だと思い考えませんでした

なので
完全休職、または退職する前に
保育園だけは確保したかったのです





認可保育園が決定するまでは
ダンナさんの職場の託児所で
預かって頂けることになりました

普通の民間託児所なんか
とても払える料金ではないので
何ともありがたかったです
(ダンナさま毎朝ありがとう)

そして自分の両親
ダンナさまのご両親
妹や長女
たくさんの家族のサポートのおかげで
がん発覚一年目の度重なる入院、
そして通院は安心して送ることが
できました

家族に感謝です




な~んて
思えはじめたのも
ここ最近なのです
40歳を越えたオバハンがです


でもこれって
年齢じゃないんですよね 

前向きで素直な人間なのか
ワタシのように子どもの頃から
ネガティブの塊のような人間
なのかの違いなんだと思います



山下弘子さんは
がんと宣告された数時間後
だったか翌日か
すぐに気持ちを切り替え
やりたい事リストを作ったと
話していました


ありえません
ワタシ、2年経った今でも
自分の余命を考え
無駄のない生き方をしなきゃ
なんて思えませんから

つまるところ
人は余命宣告に近い経験をしたって
根っこの部分は変わらないんでは
ないのかなと。。



そんな腐った性格ですから
山下弘子さんを初めて知ったとき
ワタシは彼女に何も共感できませんでした
(逆に健常者の方のほうがすんなり
彼女に共感できるんじゃないかな?)


がんになっても諦めない
ワタシよりずっと若い女の子が
何でも前向きにとらえている姿を見て
気の毒に思い
一人でテレビ観ながら
おいおいと泣いていただけです



今年に入り
アメブロでコメントやメッセージの
やり取りをさせて頂いていた
同世代のブロガーさんが
立て続けに亡くなられてしまいました

あんなに弱音も吐かず
頑張っておられたのに
ヤッパリ気合いと頑張りだけでは
この病には立ち向かえないんだなと
落ち込む日が増えました



いまこうやって
ブログを書いていても
ブログなんて書く意味が
あるのかさえ疑問になってくる
事がしばしばあります

自ら命を絶つ勇気もないので
ただただ死は怖くないんだよ
誰もが死ぬんだよ
という場所まで気持ちを
引き上げることに重きを置いてます
(以前書いたメメント・モリの境地です)
逃げてると言われても
しょうがないです





山下弘子さんは
最後の最後まで諦めず
病と向き合い
普通の若者と同じように
日々を楽しみ
ご結婚までされました

がん闘病者だけでなく
健常者の人達にも色んな意味で
希望を残していかれたと思います
尊敬しています



心よりご冥福をお祈りします