息子は今年20歳になります。


よくここまで大きくなれたな…

と息子の今までを知っている人は言います。


産まれる前(妊娠初期)から

切迫流産、早産の危機で

入退院を何度か繰り返しながら

37週目に入ってすぐ出産しました。


出産にかかった時間40時間以上

陣痛が止まった時間まる1日

陣痛時間を一度リセットされながらびっくり

何とか出産しました。


2人目の出産にしては本当に時間がかかりました。


これも息子の性格が影響したのでは?と今なら思いますえー


とにかく良くも悪くもマイペースな息子

この世界に出ようと思ったけど

途中でやめてしまったのだと思いますガーン


結局、陣痛がうまく進まず

促進剤で一気に産む事になりました。


この時から息子の様子は

娘とは全く違い

心配の日々へとなっていきました。



出産後、娘の時は2〜3時間毎に

授乳やおしめを替える日々が続き

体力的にも精神的にも辛かったのですが

息子は全く手のかからない

泣かない赤ちゃんでした。


とにかく寝たまま起きない。

授乳も無理やり起こして飲ませていました。


まず困ったのが

オシッコは出るけど

便をしないこと。


入院中は毎日浣腸を看護師さんにしてもらい

便を出していました。


毎日、何度もおしめ替えをするのが

当たり前だと思っていたのですが

息子は一般的な新生児の半分以下くらいしか

出ませんでした。


この時から小児科にお世話になり

便が自分で出せないから

腸に問題があるのでは?

と検査をしたり

泌尿器に問題が?と検査をしたり

腎臓に問題が?と検査を色々としました。



たくさん検査をしても

すぐに病名がつく事はなく

通院をしながら様子をみて

浣腸をしながら便を出す日々が

3ヶ月頃まで続きました。


真夏に産まれた息子ですが

体温調節が上手くできず

真夏なのに冬用の下着、靴下、服を着て

おくるみで包む状態でした。


娘が持って帰る風邪菌にすぐに感染し

入退院を繰り返し始めたのも

2ヶ月から3ヶ月頃です。


すぐ高熱が出て長引く

2週間程入院した後自宅へ帰ると

また1日2日すると高熱が出る。

そしてまた入院。


これの繰り返しでした。


高熱から気管支喘息

クループ症候群になり

外に出られない日々が続きました。


何度も何度も入退院を繰り返すようになり

息子にとって病院が家になりました。


たまに家で過ごすと

珍しく落ち着かず

泣く事もありました。


そしてこの様な日々が続くので

生後7ヶ月頃に再度全身を

検査する事になりました。


そしてここでやっと病名が判明しました。


神経芽細胞腫


病名を言われてもピンとこず

よく分からないまま夫と

説明をボッーと聞いた記憶があります。


小児がん と言われても

大変だ!とは理解していましたが

この後どうなるのか を

考える事が出来ませんでした。


息子を出産して7ヶ月。

私たち家族の生活はバラバラで

正直、看病疲れでショボーン寝不足でした。

夫も私も日々を過ごす事が精一杯でした。



ただその後の検査で

転移はなく

しばらくは様子観察で大丈夫な事が

担当医から伝えられました。


1歳未満での予後は

良好 と教えてもらい安心していました。


この時から手術をする事になるまで

息子の状況が悪い方へなるとは

全く考えてもいませんでした。

このまま様子観察で終わると思っていました。