最近見た映画、宗教に関連したものが偶然続き、繰り返された「子羊たち」の台詞が頭から離れず、迷える自分の胸中も相乗して、子羊になって、しまいたい。
昨日は久しぶりに「求愛」の俳優部と飲んだ。
カメラマンの清村さんの新居に招かれ、夜景を見ながらベランダで野菜と鶏肉を火鉢で焼き、お酒片手に語らう。
新居が予想以上に立派で素敵だったので、溶けそうだった。というか溶けた。とろけた。あんなに美味しい鳥皮ははじめてだった。
しばらく見ていない青空は、もう当分見れないだろうとあきらめざるを得ないほど雲が立ち込めていたけど、その下から煙をもくもくと重ねていき、アルコールも重ねていく。そしてあきらめざるを得ないほど雨男のレッテルを貼られてしまっていることも、またおいしいと感じようと思った。
一年間でいろいろあった。
たぶん、変化を望んでいたみんなが出会い集まった年が、去年だったんだと思う。
不思議なくらい、自分を含め、みんな引越して、出会い、別れた。
変化は待っていても訪れない。自ら手を上げて足を入れていかないと、それこそ人生はただの巻き込まれ損になってしまう。
僕はあんまり安定が好きじゃない。
たぶんみんなもそうだ。だって映画業界は安定と対極にある。そして安定の下での作品製作も、またそれはそれで凄みに欠けるんじゃないかと思う。
そんな中で訪れた清村家、怒涛の一年の一区切りと感じられる安定さがあった。
ここに腰を落ち着けて、また次のステップに足を入れていく。一瞬でも、とりあえず落ち着いてみるか。
それぞれいろいろあったから、こうして今目の前に予想もしなかった現実があってみんながあって自分があった。
あのときを懐かしむようになっていく。そんなこれからが待っている。
目の前にはリアルな「成長」の対象があって、証となる。
そんな黄昏に浸ることができたのは、二日酔いがようやく醒めた今、この物寂しい夜であって、今日は散々だった。
清村家で小雪にハイボールを作ってほしい、マジで神様お願い、と子羊になりながら、ウィスキーロックをかなり消化し、そのままパチンコエヴァンゲリオン暴走モードに突入、夜中に寝起きドッキリ作戦と真逆な「おはようございます」を繰り出して玄関から突入、朝方暴走モードが終わり通常モードになるも、二日酔いの確変突入、昼過ぎにようやく払い出しがすんで帰路につくも、エレベータと電車に揺られて、払い戻しになりそうなのを必死に抑えながら帰宅、雨。。。
でも今回はそんなに記憶がないわけじゃない。
昨今の全く身に覚えがありません、からは脱却、しかしその分頭痛をいただく。
おそらく二日酔いの頭痛とは、アルコールによって分解されなかった「記憶」がうずくということじゃないか。僕の場合。
と、いろいろ切ないから、いろいろ書いたけど、そして間抜けな写真もとられ、僕の携帯にも撮った記憶のない、かわいそうな子羊の写真があったので、そんな迷える子羊で今日を終え、明日を始めようと思う。
最後に、僕はどんなに飲んでも、セーフティーです!(いまのところ)
文章とは裏腹に、本当に何故か、切ない、いま。。。
