山田洋次監督のインタビュー。 | 金井勇太オフィシャルブログ by Ameba

山田洋次監督のインタビュー。

このブログを書く12時間くらい前、NHKの100年インタビューという番組に山田洋次監督がゲストに招かれ、素敵なお話をされていました。


昨日8月27日は、「男はつらいよ」の40周年を記念して、第一作目の野外上映会が柴又の帝釈天で行われてもいました。


山田さんは満州の生まれで、

「僕には日本という国に田舎、故郷というものが無いんですよ。

夏休みに田舎のおばあちゃんちに遊びに行って、普段見ない広大な田んぼやそびえる山々に感動したり、おばあちゃんが玄関まで迎えに来てくれて、あらあらいらっしゃい、なんてニコニコして迎えてくれるような風景が本当に羨ましかったわけです。

内地に来ると部屋に小さな火鉢がぽつんとあるだけだからもう寒くてね。スチームとかがあって暖かかった満州に帰りたいなんてそんな事ばっかり考えてたくらいでね。」


中学校の頃にはお兄さんと一緒に色々なバイトも経験したそうです。

山田さんの経歴を調べてみると、面白いことに東大の法学部を卒業して松竹に入ったんですよ。

これは以前から知ってましたが、50数年前の戦後の時代にこの決断をされた事を考えると、改めて想像も出来ない時代の環境や風景があったんだなと。


・松竹に入社されて、監督はどんな映画を撮りたいって思ってたんですか?

この質問に対する山田さんの答えがまたユニークで。

「別に松竹に入ったからってこんな映画を撮りたいなんて考えは無かったんですよ。

もうとにかくこれで食っていけるって。その時はそれだけ必死だったんでしょうね。まあ多少は映画が好きだったから松竹に入ったんだけれども、その頃は日本映画なんて全く観てませんでしたから。松竹なんてくだらない作品ばかりだと思ってましたし、アメリカ映画なんてのも馬鹿にしてたくらいで。

イタリア、フランス映画ばっかり観てましたよ。

松竹には分かりやすいところで言うと小津安二郎監督や木下恵介監督が居ましたけどね、僕は小津さんみたいな映画は絶対撮らないなんて思ってたくらいですから。

だって小津さんの映画は何にも新しいことが無いんですよ。レンズはいっつもスタンダードレンズだし、パンも無ければ移動も無い。フェードインアウトだって別に斬新だってわけじゃないし、話も娘が嫁が行くみたいな話ばっかりだし、役者の芝居にしたって団扇でこうパタパタやりながらあっついなーなんて言ってるくらいでしょう(笑)

僕はその頃黒澤明監督が撮ってるような人間の極限の姿みたいなを撮ることに憧れてて、馬に乗った山賊の首にこう矢がグサッと刺さって雨の中派手に転げ落ちるような画を観てて、ああこれが映画だななんて思ってたわけです。

ところがね、ちょっと面白い話があって、僕は晩年の黒澤さんと親しくしてたんですけれど、ある日黒澤さんの家に遊びに行ったんです。黒澤さんってね、あの世界のクロサワがですよ、ほんと小さな一軒家に一人で住んでるんですよ。

で、こんにちは、山田でーすって言うと、おお、上がってこーいなんて感じでね。

二階の書斎に入ると黒澤さんがじーっとテレビを観ているんですよ。それはビデオでね、なんと小津さんの東京物語を食い入るように観ていたんですよ。

その時の光景はもう一生忘れないだろうな。僕が憧れていた黒澤監督は小津監督に憧れていたわけですから。

後に僕の映画観た海外の評論家がコメントに、

「山田洋次監督の作品には小津安二郎監督の影響が色濃く見受けられる」

なんて書くもんだから僕はびっくりしちゃってね。

ああ、これが伝統というものなのか、なんてひどく考えさせられたものですよ。」


これはインタビューのほんの一部分ですが、全部書こうとすると自分の記憶の問題もあって山田さんの話との相違が出てくる懸念からここまでにします。


「男はつらいよ」シリーズから「学校」シリーズ、「家族」や時代劇シリーズに「母べえ」まで、山田さんが求めていたものは、それぞれに明確なイメージやテーマ、山田さんの育った環境に対する心の奥底の憧れや感情の飢えが作品にしっかりと刻み込まれていて、一度主演という立場でお世話になったにもかかわらず、次の作品には山田さんのどういう思いが込められているのかと待ち遠しくてなりません。

きっとこうやって作られていく映画が100年後にも継がれていく文化なんだなと感じました。


その100年後に向けての山田さんのメッセージ。

「こんにち、僕らが立っている地球上には、アメリカを始め7カ国もの国が核兵器を所有しているという恐ろしい現実があります。100年後には核兵器の無い、平和で幸せな世界になっている事を願ってやみません。」


もう一つ。

番組終了後に渡邊あゆみさんが紹介された色紙に書かれた山田さんの直筆のメッセージ。


「せめて道理が通る世の中でありたい     山田洋次」