北京五輪に思うこと。 | 金井勇太オフィシャルブログ by Ameba

北京五輪に思うこと。

を全部語ろうとすると長いのでちょろっと。


いやー想像もつかないような練習の繰り返しと周囲のプレッシャーに耐えて、金メダルを勝ち取った選手を前にして、「またロンドンでも金が見たいですねー」なんて悪意が無くたって言って欲しくないものです。


今しばらくは祝福してあげましょうよ(笑)


んで中国について。

開会式の色々話題になってる嘘の演出ってなんで逆効果って気づかないのかな?

国家のためとかいって一人一人が全く同じ表情で同じ動きしてるマスゲームとか、一生懸命笑顔で口パクで歌ってた子とか、56民族と謳って旗持ってた漢民族の子供達の空っぽな笑顔とかさ、見ててすごいかわいそうでならないわけですよ。

ってこんな風に思ってても思想政策がなんたらで自由に物も言えないなんてねー。

でもこれが中国の風習というか文化というか、僕だってテレビの情報から判断してしかこうやってものが言えないし、それぞれの国のやり方があるから表立って大々的に批判は出来ないんですけどね。


にしても。国内の貧しい地域から食べ物や綺麗な水っていう人間が生きるための最低限のものを無理して徴収してまで自国でオリンピックやらなくたっていいじゃない。

確かに、中国は比較的発展途上国の色もあるわけで希望が持てた人も沢山いるだろうし、経済的にもプラスな要素が多いかもしれない。

でもオリンピックのせいで不幸になったり生活の中での笑顔が減ってしまう人々が少しでもいるんならオリンピックなんてやんないほうがいいんじゃないかしら。

世界は広いんだから他の国でも出来るし。


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ちなみに今司馬先生の「項羽と劉邦」を友達に貸してもらって読んでるんですが、彼らが名を馳せた時代、紀元前二百うん十年っていう途方も無く離れた時代の頃の中国は、「侠」という相互扶助の精神が糊となって人々をくっつけていたんですよ。

侠という字(変換で出てこなかったんですが、にんべんに夾って書きます)の中には、、人という字が四つも入ってるんですね。いい字だなーと思いつつ日本にも中国にもこういう精神は文明の発達に比例して磨り減っていってしまうんだろなと思います。


今の世に、劉邦みたいな徳のある人が上に立っていたらどんな国が出来るんだろうと僕みたいな馬鹿は思ってしまいまふ。