「自分の才能を客観的には
わかっているけれど、
“選ばれた存在”だとは思っていない」
「努力の必要性も危機感も持っていない」
「ただ好きなことをしていたいだけ」
このような在り方は、
ギフテッドや2E(twice exceptional)と
呼ばれる子どもたちに、
よく見られる傾向なのだそうです。
そしてまさに今、
うちの娘がその姿にぴったりと
当てはまっています。![]()
興奮冷めやらぬうちに
娘の発表会の話を書いたばかりですが、
そこから数日。
今は一周回って、
娘の将来が心配になってきています。
夏休みの宿題を少しだけやっては、
ごろごろしている娘。
このまま放置すると何者にもなれない…!!
と、私が焦っています。![]()
同年代と比べて、才能を再認識
娘のステージでの歌を聴いたあと、
別の場でアーティストや歌手志望の
同年代の子どもたちの歌を
聴く機会がありました。
そのとき、
改めて私は気づいてしまったのです…。
娘には、やっぱり
歌の才能がすごくある…!
歌声・技術・音感、どれも際立っています。
しかも、
以前の声帯結節も落ち着き、
声変わりが終わったのか
苦手だったはずの低音も安定。
音域が広くなりました。
二つの発表会で自分が歌うだけでなく、
たくさんの人の歌を生で聞いたことで、
気持ちの込め方もぐんと上達。
聞く歌の幅も広がり、
歌えるジャンルも増えてきています。
「歌う人によって、
歌ってこんなに違うんだ…」
親のひいき目ナシです。。
ただ好きなだけでは
超えられないハードルを、
超えられるだけのポテンシャルを持っている。
この能力を生かさないのは、
あまりにも勿体ない!!
好きだけじゃダメ?才能を生かす努力のリアル
私は、能力は磨き続け、
知ってもらえるように努力しないと
意味がないことを知っています。
娘にとって、歌は「好きなこと」。
であれば、
スマホをいじって過ごす時間があるなら、
自分の未来のために努力してほしい。![]()
けれど娘は、
好きなことを好きなように、
そして
私にすすめられるがままに
やってきただけ。
レッスンも私が探して予約していて、
娘は自分から何かをしたことが
ほぼありません。![]()
取り組む曲すら、
自分で選んだことがなかったのです。
私や先生がお膳立てしてくれるから、
必要がないのです。![]()
しかも、
少しの努力でも結果が出てしまうため、
歌うことは日常の延長であり、
特別な才能だという認識が薄いのです。
放っておくと輝きは消える──
私や歌の先生方は、
「それは特別なものだから大切にした方がいい」
「もっと伸ばした方がいい」
と娘にしょっちゅう伝えます。
娘は褒められることこそうれしいですが、
それだけ。
遠い未来の話に本気になりません。
夢は夢、と言った感じです。
娘の才能が宝石だとしたら、
少し磨けばすぐに輝きが見える、
磨きやすい状態だったと思います。
でも途中で放置すれば、
すぐに埃が積もり曇ってしまうでしょう。
本来の輝きを失ってしまうのです。
そして何より、
たとえ娘の宝石が本物であっても──
磨き続けた他の宝石には
敵わないこともある。
才能がそこまでなくても、
努力を続けた人に
追い越されてしまうかもしれません。
今、学校が忙しいとかその程度で、
磨きを止めてはいけないのに…。
娘にとっては、
学校のあれこれも、
他のやりたいことも、
歌うことも、
比重は同じ。
むしろ学校の課題と違い
周りから急かされない分、
焦ってやるほどの
ことではないのです。
発表会のあと、
「最高の景色を見れた」と
言った娘ですが、
そこで
満足しては意味がない。![]()
もっと「最高の景色」を
見られる可能性があるのに、
娘自身の内発的なやる気がなければ、
それより先には進めません。
夏休みは残り短い。
人生も短い。
努力できる時間は
限られている。。。。
私がひとり、
ジレンマを感じています。![]()
才能だけでは勝てない──課題だらけの現実
娘にとって、
歌や音楽はちゃんと「好きなこと」。![]()
周りから色々言われたら
その気になって
「歌を歌って生きたい」とは言います。
でもその曖昧な発言からも、
実際には一つに絞り切るほど
腹をくくっていません。
他にもたくさん
やりたいことや好きなことがあり、
常に頭の中は他のことでいっぱいです。
そのため、まだまだ子どもな娘は、
一つのことだけに今をかけるのではなく、
自分のペースでのほほんと、
好きなように楽しんで、
いろんな興味あることに挑戦したいのです。
小学校低学年くらいだったら、
選択肢を絞るより出会う段階だから
「それもいいね」と
私も言っていたと思います。
そしてよく考えれば、
娘が今もそれを強く思うのは、
小学校自体に娘には自由な時間が足りなかった、
のかもしれません。。
受験勉強でさらに昔を忘れてしまっただけかもですが。
とはいえ娘はもう中学生。
学校も忙しくなり、
限られたリソースを能力向上に費やすには、
「なんでもやりたい」
「好きなようにしたい」では、
よほどのラッキーでもない限り、
世の中に認められるような成果には
つながりません。
娘は疲れるのも嫌いで、
一つのことにかけていないからこそ、
計画的に手を抜く傾向もあります。
才能があるはずの歌の道(芸事)は、
決して歌がうまいだけではいけない。
「人よりちょっとするだけでうまくできる」
「手を抜く」
これらもギフテッドに
よく見られる傾向で、
多くのギフテッドに理解のない大人は
好まないでしょう。。
どんなにうまくても、
手を抜いているように映る姿に、
良いイメージは持ちづらいですから。
娘は決定権のある大人に嫌われやすい──
という話をこのブログでしたこともある通り、
実際に苦々しい体験もしたことも
何度かあります。
つまり、
娘がこの才能で生きていくためには、
たとえ突出した才能があっても、
それだけでは不十分。
他者の目に応援されるような姿勢、
信頼感、集中力を持つこと、
もしくは
それらがあたかも備わっているように
アピールする能力が必要──
“才能をこの社会で
発揮するためのスキル”が
娘は足りないのです。
娘には響かなくても…
私はそういうことを
何度も娘に言っていますが、
娘はもう耳にタコ状態。
「そういう話、もういいから!」と、
ぴしゃりと会話を
シャットダウンしてきます。![]()
しかも娘は根がスーパーポジティブマイペースマン。
娘は自分の悪いところを見ないし、
負けず嫌い、にならない。
そうなると、行き場を失くす私の焦り‥。
何の進展もなく
残りの夏休みが過ぎ去る中で
絶望感すら感じていました。![]()
苦しい![]()
ただ私は、、、、
それんな状態でも完全に諦めはしません。
諦めるのは簡単。
でも、そうすることで
私も娘も後悔する結果になることが
わかっていて、
その苦しさの方が辛いから。
だから、
どうすれば娘がちゃんと
自分の能力に向き合ってくれるのか……を
ずっと頭の片隅で考え続けます。涙
そして、、、、、
今日、、、
床で寝っ転がりながら
ひらめいたことがある!![]()
これはいけるかも?!
それは、実践してみて
また別の記事で書こうと思います。
