こんにちは!
 
心と絵本の
コンシリエーラ
La consigliera del cuore e
 dei libri per tutti i bambini
 
はやま かなです。
 
ご訪問頂き、ありがとうございます。

 

先日開催した絵本セラピー本

会が終わってから

ご質問を頂きました。

 

「絵本っていうのは

作者の意図と違う解釈をしても

いいものですか?

小説はたいてい

作者の意図がわかるから

捉え方が決まっている。

でも絵本では

作者の意図と違う解釈を

してもいいのですか?」

 

おぉ!

初めての、新しい視点の

質問!!ベル

 

時間を頂いて、私なりに

じっくりゆっくり

考えてみました。

そしたら調べるうちに

楽しくなってきて宝石白

「わーびっくりこれって

本質かもしれない」

と思ったので

私の考えをシェアさせて下さい。

(これが正解という

わけではありません)

 

調べていくうちに、

たくさんの論文や記事に触れ

質問をして下さった方の

お気持ちの中に涌いてきた疑問が

理解できました。

 

そして、これは絵本に限らず

言えることですが、

世に出されている作品を

読んだり見た時に出てくる

感情や感想はどれも、

作者の意図とは無関係。

自分が感じた作者の意図が、

必ずしも実際の作者の意図と

一致するとは限らない

ということもわかってきました。

 

絵本作家の 長谷川義史さんは

「絵本は作者が生み、読者が育てる」

とおっしゃています。

自分で生んだ作品の意見を、

見たり聞いたりする度に

「ほーそう読みますか

なるほど~、とか

作品が深まっていく感じがします」

と仰っています。

 

また、絵本作家の五味太郎さんは

「子ども限定で描かない。

解釈は読み手に委ねる」

と仰っています。


つまり

誰かが作品を読んで感じたこと

=作者の意図 ではなく、

おひとりおひとりの感じ方が

そこにあるだけということです。

自分の感じ方が正しい

⇒あなたの解釈は間違っている 

ということにはなりません。

 

私達は子供の頃から

「これが正解、これは不正解」

と教えられ、

常に正解を出すように

求められて生きてきました。

そして、正解を出し続けていくことが

幸せに繋がると信じて進んできました。

ですがどうでしょう?

世の中には正答がないことも

あると思います。

 

例えばAさんがBさんに、

これをしたら喜ぶはずと思って

したことでも、

Bさんが心から喜ぶとは限りません。

AさんもBさんも それぞれ、

喜ぶポイントが違うし、

その時によって

気分も違うからです。

Bさんが心から喜ばないから

といって、Aさんのしたことが

間違っているとも、

Bさんの感じ方が間違っている

とも言えません。

人が感じることに

正解も不正解もないのです。

 

極端な例を挙げるとすれば、

戦争です。

今の日本では“戦争は良くない”

という共通理認識があります。

(これも、かならずしも

全員がそう思っているとは

断言できません)

ですが、場所や時代が

変わるとどうでしょう?

今も戦争をしている

国や地域があります。

戦争をしている人たちは、

どちらも‘自分が正しい’と信じ、

‘自分は正しいから、

正しくない相手を倒すのは

当たり前だ’と思っています。

そして日本にも

戦国時代や第二次世界大戦を

していた頃がありました。

 

自分を守るため、

仲間や国を守るために、

戦うことが正しいと

されていました。

 

今とはまるで違う常識や考え方が

あった時代です。

正しいとされることが、

今とは違っています。

そしてその時代の中でも、

戦うことに嫌悪感を持つ人も

いました。

感じたその嫌悪感を

実際に表現するかどうかは別として、

嫌悪感を持つこと自体は自由だし

悪いことではないですよね。

 

今回ご質問を頂いたことで、

色々と調べてみたところ、

様々な文献もあったので

ご紹介します。

 

以下、私が調べた

様々な文献から得た

要約の一部です

 

☆作家と読者は

相互に関連している。

 

☆作家は作品を通じて

自己表現し、

読者はその作品を通じて

作家との対話を形成する。

 

☆作家は作品を書く際に

自己の意図や感情を込めるが、

読者はそれを受け取り

解釈する自由がある。

 

☆作家と読者の関係は

一方通行ではなく、

相互作用が存在する。

 

☆読者の解釈や反応は

作家の創作活動に

影響を与えることもある。

 

☆作家と読者の間には

一定の距離があるが、

作品を通じて繋がりを

感じることができる。

 

☆読者は作品を受け入れる

だけでなく、

自身の経験や感性を通じて

作品と対話し、

新たな意味を

生み出すことができる。

 

そして、このようなご文献も

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/62/8/62_84/_pdf/-char/ja

「作者の死」から「読者の死」へ

―〈読むことの倫理〉

を忘れた〈読み〉に向けて―

 

以下抜粋です

 

「読むこと」とは、

対象そのものが

読まれているのではありません。

対象そのものの〈影〉が

読み手に働いている物を

読んでいるのです。

すなわち

読み手のとらえているものは

読み手自身に現象したものであって、

対象そのものは

到達不可能です。

了解不能の《他者》

であります。

その上で、わたくしたちは、

「読むこと」には主体と

主体が捉えた客体と客体

そのものの三項が必要であり、

この客体そのものを

「〈原文〉という第三項」

と呼び、その〈影〉の働きと

呼んでいます。

 

また、

「コミュニケーションの日本語」

森山卓郎

岩波書店

https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b269151.html

の中には

このような記述があります


抜粋です

自分の考えを相対化して

みるということは、

自分の考えを

いろいろな観点から

改めて見当し直してみる

ということです。

しかし、世の中には

どう考えてもおかしい、

あきらかにおかしい、

といったことがあります。

例えばナチスドイツの

ユダヤ人虐殺に対して、

「それもひとつの考え方」

などと言うとしたら、

人権ということについて

何も考えていないと

同じになるでしょう。

最後は自分で考えなければならないし、

しっかり考えたうえで、

やはり戦わねばならないとき、

ひとつの考え方を

全面否定すべき時はあるのです。

 自分がひとつの意見だけを

思い込んでいるとすると、

それはよくないぞ、

というように、

謙虚な気持ちでとことん

点検し直すこと。

そして、他者の視点からも

考えてみること。

そうした上で、

「より正しいこと」

「よりよいこと」

「より適切なこと」

を自分なりに

つきつめていくことが

必要です。

「相対化」ということを

誤解してはいけません。

 

またまた、

以下のような書籍も出されています。

「なぜ、あなたは本を読むのか?」

石原千秋

筑摩書房

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480687647/

ご興味のある方は手に取って頂ければと思います。

 

長くなりましたが まとめさせて頂くと、

100人が本を読んだ時

100人それぞれの感じ方があります。

どんな感じ方も

善し悪しや正誤はなく、自由です。

‘正解がないなんて気持ち悪い‘

と感じることも自由です。

今まで「これが正しい」

と生きてきた私達が、

絵本を通して正誤のない世界を

味わうことによって

新たに感じられることがあります。

これは、大人だからこそ

感じられることです。

絵本セラピーでは、

その自由さを体験し、

感じてて頂くことが目的になります。

同じものを聴いて、

同じ絵を見た時に

全く違う感覚を持つ人がいる

ということを知り、

自分の中に出てきたものを

味わって頂けていたら嬉しいと

思っています照れ

 

 

最後まで読んで下さって
ありがとうございました。
 
今日もあなたにとって
ステキな日になりますように。
そして、楽しい人生が
広がっていきますように🌈
 
はやま かな

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