どこかに記録しておきたくて。


1月29日に祖母が永眠しました

1月頭に99歳になったところでした


どーせなら100歳越えて欲しかったけど

大往生で眠るように亡くなったので

良かったなとも思ってる照れ


親戚のおばあちゃんが何故か細かく日にち覚えてて

1/29 父方の祖母(今回)

1/30 祖母のお姉さん(37年位前)

1/31  母方の祖母(20年位前)

に永眠してたみたい

不思議な縁だなぁー


さてさて

お通夜、葬儀は

親族だけでするつもりだったウチの両親


ところが


いつもお世話になっていたお寺のお坊さんに

「最後のお別れをしたいお坊さんが

 たくさんいるので参列したい

 最後なので断らないで欲しい」

と言われてしまい


会場も予定より1つ広いところに変更びっくり



お通夜の時は

前でお経唱えてくれたお坊さんは

なんと11


葬儀の時すら

5人 ポーンポーンポーン

11人なんて

参加してた親族人数とほぼ変わらんじゃん笑い泣き


あんなスゴいお葬式は初めての経験でした


お経の大合唱は

聞いてて心地良かったおねがい




大正生まれのおばあちゃん


もう直ぐ100周年を迎えるお寺には

おばあちゃんのお父さんから檀家になり

檀家をまとめる役を努めていたそうで

その娘となるおばあちゃんも

盛大に送り出してもらいました照れ



おばあちゃんは

お寺を創立した住職を知っている唯一の人で

住職さん4代にわたって

寺におつとめをしてきたみたい


そんな長いことだったとは初めて知った!


現住職さんに

「私のおばあちゃんのようにお世話になっていた」

と言ってもらえるほどの関わりっぷり


私のおじいちゃんになる旦那さんを

めちゃくちゃ早くに亡くし(父が1歳頃に)

お寺に関わることで心が救われてたよう


お経も毎日朝晩欠かさず


85歳過ぎて背骨骨折して3ヶ月ほど入院しても

1ミリもボケずに退院キョロキョロ


きっと入院中のベットでも

唱えてたんじゃないかと思ってしまう


亡くなる時も誰が誰だか分かってたみたいだし

本当にスゴいとしか言いようがないスター


亡くなるまで病気もホンマ何一つせず

通ってた病院は

目医者くらい


それでも90歳越えても単行本読めてたし笑

何で通ってたんやろ?爆笑


亡くなったお顔見ても本当に綺麗で

お肌モチモチ、シワ少ないし

家族の誰よりも外人顔負けの鼻の高さ!!びっくり


我が母も

「誰も継いでないね」と笑い泣き笑い泣き笑い泣き


私もずーっとおばあちゃんの鼻の高さが

羨ましかったなぁー笑



数年前から施設生活だったおばあちゃん

足が弱ってたから

施設入ってから車椅子に乗せられてしまって

全く歩けなくなってしまってたので

申し訳ない気持ちもある


コロナ禍になってからは

3年間家族の誰も会えなくなってしまってた悲しい

(おばあちゃんはずっと元気やったけど笑)


12月に久しぶりに会えて

曾孫の顔も初めて見せれて良かったな


その時はまだ会話も少し出来てた


施設の人から

後からとても喜んでいたと教えてもらった飛び出すハート



亡くなる3日前に行った時は

もうほぼ目も空いてなかったけど

反応はしてた。



家にいてたらもう少し長生きしてたのかもしれないと

どーしても考えてしまう


家で一人で過ごさせる事が出来ない性格と

状況だったから仕方ないとは思うのだけれどあせる


帰りたいってよく言ってたな悲しい


後、思い出と言えば

おばあちゃんにきっちょむさんとか

よく面白いお話をしてもらってたけど

内容を全く覚えていない笑い泣き


そんなもんか(*ノω・*)テヘ


お兄ちゃんと私しか知らなかったのが

おばあちゃんがお酒飲むこと爆笑



おばあちゃんは私かお兄ちゃんがにだけ

酎ハイの半分こを申し出ていた!!びっくり


「飲みたいけど半分しかいらんねん」

がお誘いフレーズカクテル

で、酎ハイも箱買いしてました笑


式の時にその話をしてたら

聞いてた葬儀屋さんが

最後のお別れの時に

酎ハイ用意してくれたーえーんえーんえーんえーん


有難かったな泣き笑い


そろそろお別れとしとこ


ホンマ長いこと

お疲れ様でした照れ

またねーーー!!



女ばかりでパシャリ