私が仕事で、
人様の人生のノンフィクションに
触れるようになって、10年が経過した。
生活、仕事、家族、病気、不安、怒り。
そこにあるのは、どれも作り話ではない。
温度を持った人間が、実際に背負っている実話。
その人の人生。痛み。切実さ。
だから、時に重すぎる。
制度の隙間、責任の押しつけ、善意の搾取。
誰かの人生を支える仕事をしているはずなのに、
いつの間にか、自分自身がすり減っていることが
ある。
そんな時、ずっと私を支え続けてくれたものがある。
昭和ドラマ。
いわゆる、フィクション。
そこに映っているのは、もちろん役であり、
物語であり、作られた世界だ。
けれど、画面の奥から伝わってくるものは、
決して「作り物」だけではない。
人間の弱さ。孤独。危うさ。欲望。
色気。怒り。哀しみ。
そして、それでもなお、生きている人間の気配。
人間は、綺麗事だけでは生きられない。
私の好きな昭和の俳優さんたちは、
温度がある。
所作、目つき、間、セリフ。
そのひとつひとつが、胸に刺さってくる。
私はそのセリフに、そのまなざしに、
その佇まいに、どれだけ救われてきただろう。
お芝居であっても、そこに宿る感情が本物なら。
物語は架空でも、それを演じる身体が本物なら。
時代も、時空も、超えてしまう。
そこに込められた息づかいは、
今なお、生々しく脈打っている。
私は作品を通して、
人間哲学を学んでいるのだと思う。
私にとって昭和ドラマは、この10年、
過酷な現実を生き抜くための御守りだった。
「人間は多面体」
悪役であっても、怪しい男であっても、
そこには何かしらの背景や痛みや業がある。
人は、単純な善悪だけでは語れない。
影を否定せず、弱さを切り捨てず、
醜ささえも身体に通して表現する。
そこには、人間を見捨てないまなざしがある。
だから、私のノンフィクションの疲れが、
少しずつ癒えていくのだろう。
私は今、自分に優しさを向けることを学んでいる。
綺麗事だけでは生きられない私自身の弱さも、
疲れも、怒りも。
今は、そのまま抱きしめてみる。
張り詰めた心を、そっと緩める。
目の前の大好きな俳優さんたちに、ひと呼吸。
がんばってきた「私」に、ひと呼吸。
昭和の俳優さんたちが教えてくれた人間哲学は、
今、私を労わるための優しい光になっている。
私は今、『夜明けの刑事』『キイハンター』に、
どっぷりとハマっている。
中でも、藤木孝さん。
その役の振り幅には、
ただただ感動させられるばかりだ。
堅物刑事さん。
軽薄なチャラ男。
ゾクッとするほど怪しい男。
どの役を見ても、「お見事」としか言いようがない。
その表現の奥にあったであろうご苦労は
いかばかりだったのか。
そう思うと、ただ感嘆するだけでは
済まされないものが胸に残る。
どんな役の中にも、人間に宿る多面的な光と影が、
リアルに息づいている。
人間をまるごと見つめる力だ。
それを御守りに、私は私の現実を、
少しだけ優しく生きていく。