子供の頃、スマホのような機械はドラえもん等のアニメやマンガの中だけの話で、
どこにいても電話が出来たり、簡単に様々な情報を得ることができたり、
買い物やゲームが出来たり、銀行に行かなくてもお金のやり取りができたり。
仕事や結婚相手まで親指ひとつ、小さな画面内で探すことが出来る時代。
昭和の昔を思えば本当に夢のような機械です。
私が初めて携帯電話を手にしたのは24歳の頃。
NTTドコモの「P201」という機種でした。
当時はまだ電話とメール機能しかなく、カタカナ入力しか出来ないショートメールでした。
「電話が出来るポケベル」という程度の機能しかなかったんですよね。
その後はかな入力が出来るようになり、折り畳み携帯が流行り、iモード等のネット接続が出来るようになり、
カメラが付き、通話用アンテナが無くなり、ワンセグでテレビが見られるようになり。
東日本大震災後の計画停電時にはワンセグでテレビを見ましたね。
そしてスマートフォンが登場しました。
初めはスマホなんて持つ気は無かったんですよね。きっと使いこなせないと思ったので。
それでも何とか使えるようにはなりましたが、恐らく未だに機能の半分も使いこなせていません😅
文字を打つ際の「フリック入力」が出来なくて、どうしてもガラケーと同じ打ち方になってしまうんです。
例えば「海」と入力する際は「あ」のボタンを3回押し、「ま」のボタンを2回押し変換するといった具合に。
最近の若者達が文字入力する様を見ているとメチャクチャ早いですよね。
さすがはZ世代と言ったところでしょうか。
ただ、世の中ってのは新しいものやお手軽便利なものが出ると悪事に使う輩が必ず出てくるもの。
現代はSNSがイジメや犯罪の温床になり、社会問題にもなっています。
世の中の移り変わりに法整備や倫理観が追い付かなくなってるんですね。
こうなると人間が自らの首を絞めているようなものです。
無論、スマホや科学技術が悪いわけではなく使う人間が悪いのですが、
どうも人間がスマホに操作されてしまっている感が否めません。
顔も本名も知らない赤の他人からの反応が気になって仕方がなく、
SNS映えを気にするあまり他人の迷惑を省みずそこらじゅうで写真を撮りまくり、
飲食店で男女が向かい合って座っているのに見ているのはスマホの画面とか、
家族で旅行してても子供はスマホゲームに夢中だったり。
授業中でもスマホをイジる学生が問題になっているらしいし、
危なっかしい「ながらスマホ」をしている人を見ない日は無い。
自転車に乗りながら、イヤホンで音楽を聴きながらスマホを見ている人なんて、
周囲の人達が危険を回避してくれているから事故にならずに済んでいるだけでいつ事故をおこしてもおかしくない。
女子大生が自転車のながらスマホで高齢者にぶつかり死なせてしまったニュースもありました。
朝の通勤時、ふと向かいのホームを見るとスマホ片手に下を向く人の何と多いことか。
何だか怖いと言うか、異常な光景に見えましたね。
若い子達がスマホに振り回されている姿や話題を見聞きするにつけ、
自身の若い頃にこういうものが無くて本当によかったと思わずにいられません。
私には姪がいるのですが、姉が離婚した為に幼い頃から実家で同居していました。
姪が高校生の頃、「スマホの無い生活なんて考えられない。おじちゃんの若い頃はスマホが無くて可哀想だね」なんて言いましたけど、
スマホなんか無くたって充分すぎるほどの青春を謳歌してきましたし、
逆に考えれば、もし私の学生時代にスマホがあったらあの青春は無かったと思います。
だから全然可哀想なんかじゃないよと言うと、姪は不思議そうな顔をしてました(笑)
世の中が便利になると人間にとって大事なものが少しずつ失われていくような気がします。
今と昔どちらがいいということではなく、社会にはいつでも良い面と悪い面があります。
時代に振り回されることなく自分というものをしっかり持って生きていたいものです。