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本日のココロイキ

激passiveに生きるブログ

セブに来て4週間。
サイクルラーニングはStage3に入った。

リピートするセンテンスが少しずつ長くなったり、表現がややこしくなってきたりするのは、すごくおもしろくて、頑張って先生についていこうとしているのだけれど、
このクラスでは、各トピックのQuention(先生)→Answer(生徒)のやり取りが終わると、役割をswitchして、自分でトピックに出てきた単語や表現方法を使って例文を作って、逆に質問を仕返す、という作業をしなくてはならない。

トピックについてきちんと理解ができているかを確認するために必要な作業だというのはわかっているのだけれど、
ここで、いつも行き詰まってしまう、というか、やりたくない、と思ってしまう。

先生の話し方のマネをしたり、長い文章を聴き取ってリピートできたときの達成感が高まっていく感じはすごく楽しくて好きだけど、
いざ自分で発話するとなると、
今はまだ、わたしの中に英語の表現の引き出しがほとんどないので、たくさん言葉を与えてもらってる状況にいるだけというか、
どこまでも受け身なわたしの性質なのか、

make your own sentence
と言われて、何も思いつかなくて、
テキスト通りのことを無難に返すか、時々それも難しい状況のとき(例えば、自分でシチュエーションを作って、それを説明して、先生にトピックを含んだ表現を使ってもらおうとしなければならない場合とか)があって黙ってしまって、授業が進まなくなってしまう。


自分で英語を使うための例文を作るのが、なぜこんなにも苦痛なのか、
そのことをよくよく考えてみると、ただ、一つ言えることは、

それは、わたしに目的がないからだと思う。

この単語を使って何か言ってみたい、とか
こういうシチュエーションで英語を使いたい、とか
自発的に練習したいと思えるようなこと、
英語を使って何かをするために英語を学んでいる、という明確な目的、
そういうのがまったくないから、
適当な答えを探すのにいつも戸惑ってしまう。

だから結局、自分で考えたんじゃないことを、自分で考えたこととして、無理やり言わされる感じになってしまうのが、とても苦痛なんだと思う。


本当はわたしの心は、無難な答えを言いたいんじゃなくて、
自分が感じた本当のことを言いたがっていて、
でもまだわたしの心には、英語のfeelingが浮かび上がってこない。


何のために英語を勉強しているのか、
目的がなければ上達はないだろう、と思う。

ただ、わたしは、言葉を、何か生産的なことを成し遂げるための一つの道具だとは思ってなくて、
そんなふうに、一つの技術として割り切って身につけよう、とか思えなくて、

ただ、わたしがみたいものは
違う言語を使って話す人たちのものの見方や、
世界の意味の切り取り方というか、
それらは目には見えないけれど、
きっと、英語を通して、新しい感覚に触れたい、ということなんだと思う。

そしてもっと興味があるのは、
英語を使って話そうとするときの自分の心の動き方で、
とにかく、何か新しい心の状態を体験してみたい。
違うステージに行ってみたい。

わたしは世界の深さをみたい。
その奥深さを体験したい。

心がゆさぶられるような体験をいっぱいして、それを注意深く観察して、
もっと自分のことをよく知りたいし、この世界と本気で関わっていきたい。

そのために、英語を話せるようになって、一人でどこにでも行って、何でも好きなことができる自信を手に入れたい。



勉強のために、英語の歌をたくさん聴くことにした。
英語の発音の、声の震え方、その響きが好き。

誰かが本気で表現したいことを心から表現している様子をみるのは、技術とか関係なく、
move、そしてtouch

トム・ヨークはいつも、本当の自分の気持ちに触れられるところに心を連れていってくれる。







不完全なものが好き。