高校入学の時、ボランティア活動が好きで

先生にお願いして部活を立ち上げた。



なぜあんなにボランティア活動が

したかったんだろう。



今思えば、



父は10年以上単身赴任で

月一ほどしか帰って来れなかったから

私と母で、脳性まひの弟の身の回りの

ことをしていた。



家にいる時は数回の痰の吸引やおむつ変え、

床擦れ防止のマッサージ。

ミキサー食の準備。数ヶ月に一度の入院。



医療行為といわれることも

小さな頃からやっていた。

外出時は酸素ボンベや吸引機などを

たくさん準備して

私と母にしかできない習慣(コツが必要)が

たくさんあった。



その生活が当たり前で育った。



周りの大人からは、



お姉ちゃんがいて安心だね。

お母さんと弟さんを、これからも助けてね。

良い子、気がきく子、頼もしい子

と言われまくって育った。




大人になった今、



何かに夢中になって頑張っていないと、



何かしなくちゃ、何か頑張らなければ💦

焦りを通り越した、無価値観に

襲われるようになっていた。

 


誰かのために、役に立たなきゃ、私がやらなきゃ

もっと、もっと、

という《苦しみ》



喜びや愛情の上にある《人のため》ではなく

必要とされていたい。

誰かに認められていたい。という

《自分のため》のエネルギーだった。

 


とても尊敬している方から

それに気付かせてもらい、全てが繋がった。




だから、

過去の恋愛でも、仕事でも、

自分のことや、周りのことを

犠牲にしてやっていたことが

たくさんあったことに気が付いた。



嫌でしてるのではなくて、楽しくて。

でも、認められたくて。




何のために、誰のためにしているかが

はっきりしているか、

そしてそれを、自分で納得しているか。




とてもシンプルなことだけど、

ここを間違えていたら

良いと思っていることも

苦しみになってしまうということ。




育った環境も、過去も変えられない。

それを理由に生きていくのか、

それとも生かすのか、

どちらもできる。



何をするかではなく、

私が好きでしてる💖という軽やかな気持ち。



そんな気持ちになって初めて、

人の役に立ちたいという思いが

生まれている。