雲に学んで観る物語を考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

人それぞれですが人は誰かを許せなかったり許せたり自身を許せなかったり許せたり、何かに納得出来たり出来なかったり理解したり理解しなかったり共感したりしなかったり好きになって観たり嫌いになって観たり気分が良かったり良くなかったり気持ちが晴れたり曇ったり美味しいかったりそうでもなかったり、楽しかったり楽しくなかったり笑えたり笑えなかったり悲しかったり寂しかったり嬉しいかったり1人になりたくなったり、逃げたくなったりチャレンジしたくなったり辞めたくなったりやりたくなったり、お腹が減ったり減らなかったり眠たくなったり眠たくなかったり、悩んだり悩まなかったり悲観的だったり楽観的だったり、近づいたり離れたり、聞こえたり聞こえなかったり匂いがしたりしなかったり感じたり感じなかったり鈍かったり鋭かったり、否定したり肯定したり肯定したのに否定したくなって観たり、前はそうだったのに今はそうじゃなかったり、あったりなかったり、なかったりあったりする、人はそれぞれですがそれぞれがそれぞれにいろいろたくさん様々に変わってく変わるモノだとも知ります、

大変失礼致しました

ごうさんというペンネームでブログを気ままに更新して観ます

人はそれぞれですが変わるモノだと仮定した場合、変わらない人なんていない物語性を帯びます、変わらない様に観たりしても変わったモノが同時に内在し混在し観るか観ないかのとってもあやふやな不確かな形とも想います、例えばそれは、あの空の雲のように、雲は雲だけど雲の形はそれぞれです、雲という存在のその意味や定義は誰かが人が決めたひとつの形なんだけども、雲の姿や形や種類は多種多様でも在り、今にもその形をじっとそこに止めないあやふやさと不確かさが同時に在ります、観えるのに掴めなかったりあそこにいたのにいなくなったり消えたり現れたり右へ行ったり左へ行ったり上に行ったり下に行ったり水になって観たり空気になって観たり、あったりなかったり、なかったりあったりする物語、その物語性はまるで人と同じように想エルことがあります、人それぞれですが人は、あいつが許せないというけれども、あの雲の形は許せないダメだとか流れてく方向がわるいとか納得出来ないだとか上は成長しているけど下は成長していない次元が低いだとか右派だとか左派だとか、挙げればキリがないのかも知れないんだけども、人は人とよく似た雲に対しては人と同じように多種多様それぞれ様々いろいろあっても、いいだのわるいだの許せないだの共感できるだのとは余り言わない想わない考えない意識しないような気がする、それって何故なんだろうって想エル不思議だけど、変わるモノとして変わらざるを得ないモノとして変わる変わっていく世界のこの中で、僕は雲に学んで観る物語を考えて観たりする、形はあるけど実体はあやふやで不確かな世界、こうじゃなきゃ、もこうしなくちゃも、いいのかもわるいのかも、自分自身も他者も、自然も不自然も善悪も、成長も停滞も進化も退化も上も下もなく右も左もない、あったりなかったりなかったりあったりする雲のような物語性を帯びているのかも知れません、だとすると人それぞれですが人は僕はこれからどう生きて観ることが出来るのでしょうかあの空の雲たちのように

以上大変失礼致しました

本日もよきかな一日をどうぞ

ありがとうございました