自分軸を取り戻す遊び方を考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

人はみんな根本的に優しい、日本の方々は特にとりわけより優しい、それは勝手な私の自分時空な物語なのかも知れません、例えばステレオ的なのかも知れませんが、何故日本の方々は優しいでいっぱいなのかを考えた場合、他者を思い遣ること他者に気を配ったり他者を尊重したり又他者との協力や協調などを重んじる意識があり、そうした自分のカゴに他者を容れて勘定するような、自分のカゴと相手のカゴという区別や境界をハッキリしようとする海外的な意識ではない、日本独自の領域展開が、素晴らしい半面他者との境界をあいまいにするような意識がある故に、自分軸を自ら解らなくする物語性があるのかも知れません、そうした仮定で、自身の幸福の追求を考えた場合、他者のことばかり気にしてると疲れますよ振り回される観誰かのせい観でどうしたらいいのか解らなくなったりして悩んだり迷ったりしんどくなってしまうかも知れませんよ、だからなんて自分軸を取り戻す必要性を唱える物語性がありますが、自分軸を自分時空が解らなくなって閉まった状態で自分軸が大事と言われても又、それがわからないんだけど、という物語性を編むかも知れないとも考えて観ました、

自分軸を取り戻す遊び方を考えて観る物語

失礼致しますごうさんというペンネームでブログを気ままに更新して観ます

自分軸を取り戻す遊び方

例えばひとつこんな遊びは如何でしょうか

自分自身の行動や想い選択することに対して、

それらを文章化した場合、すべて冒頭にあえて、を付けて観る物語

日本語は多彩でひとつの言葉或いは発音に対して様々な意味が重ねて付帯されていたり又音から広げて書き換えて観ると妙に偶然とは思えないような発見や気付きをイマジンすることも可能な気がしています、例えば前述しましたが、自分自身の今日一日を振り返って観る場面で、全ては思いだせないかも知れませんがインパクトのあったあれこれは思い出せると想います、朝起きてお仕事や学業に専念して食事をし休憩と呼んでいいのかもはやわからない休憩をし何かに耐えながら何かに何とか頑張って大した寄り道もせずに家路についた、とした場合、そうした一日に、あえてした、あえてやった、あえてやらなかった、あえて選ばなかった、あえて考えたしあえて思わなかったしあえていろいろそうしたしなかった、と書き換えて観る物語

あえてあえてと連呼して観るとゲシュタルト崩壊してしまいそうですが、あえては不思議な力があって妙で、あえて嬉しいなんて表現もできたりすることを知ります、あえて嬉しい、それはあえる有り難さあえる楽しいさあえる奇跡あえて幸福を観る物語性があるようで、あえる素晴らしいさは又妙で、何か違う食材同士をいろいろまぜこぜにして味付けしてみたら、まぁ美味しいあえものの出来上がりなんて物語もあったりして、あるものとあるものとがいっしょにダンスして舞い上がるような物語性もあるような気がして、あえて、あえてを自分自身のあれこれに付けて観ると興味深い物語性がいろいろ観えるような気がして観ました、あえて嬉しいあえる喜び感謝、あえて自分軸を取り戻すためにあえてを付けて遊んで観る物語

ああ今日も仕事があるああ明日も仕事がある、私はあえて往くのだ、私はあえて行かないのだ、私はあえて、自分軸にあえて嬉しい物語

私はあえて笑うのだ私はあえて合わせるのだ私はあえてそうするし私はあえてしないときもある、私たちはあえてそれを選ぶし私たちはあえてそれを選ばないのです、なぜならそれが私だから、あえてあえたらあえると嬉しい a 得る 私へ帰る自分軸を取り戻すかも知れない物語、

もしも余裕があったら、あえて書き換えてあえて遊んで観ては如何でしょう

以上大変失礼致しました

本日も一日よきかなをどうぞ

ありがとうございました