観るバランスの偏りについて考えて観る物語 | ごうさんブログ

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高みを目指すなら笑われてゆこうじゃないか

桜のシーズンから印象的な4月から想ふのは

新しい始まりの季節とも言えるかもしれません

これまでとこれからの物語においては、人それぞれですが、慣れ親しんだ物語から未開拓の場所へ歩んで往く物語性があるかもしれません

未知なる冒険への旅の始まりは、楽しみもありワクワクもあり、ドキドキもすれば少し先行き不透明な不安観も人それぞれですがあるかもしれません、そうして桜舞い散るこの時節を皮切りにしてたくさんの人たちが新しい今年という物語をより意識するのもこの4月を堺にしたこれまでとこれからの物語性を帯びているようにも考えて観ました。昔昔は五月病という表現がありましたが、現代では、年がら年中、何かを区切りにして、新しい物語との新たな付き合い方において憂鬱になったり自信や希望が持てなくなったり前向きに明るく踏み込んだそれぞれの行く先で人それぞれですが色んなギャップや不安を感覚したりして一時的にも自分自身を見失うような物語を編むこともあるかもしれません

ときに人は、子どもの頃から大人へと成長するに従って、他者との関係性から多くを学んで自分自身を知る機会を広げて往く物語性があるように想います、子どもと大人の違いがもしもひとつあるとすれば、一概には言えませんが、それは自分自身がどう想ふかだけでなく、自分なりにでも他者の立場や視点に立って、ひょっとするとこう感じるかもしれない、こんな風に想ふかもしれないと、自分自身以外の存在について考えて観たり想いやったりと段々とそのような相互観を身につけて往くような物語性があるようにも想い観ました、自分自身を知る為に、他者から学び自分以外の様々なモノから学んで行き自分自身とはどのような輪郭なのかを知って往く物語性がある一方で、人は人それぞれですが、大人になればなるほどに子どもの頃とは違って自分自身を観ることから離れていくような物語性を編むのかもしれません。現代においては、他者からどう観えるかどう捉えられるのか、どう感じどう想われるのかで非常にそこが気になって、自分自身を見失ってしまうような物語を編む人もいるかもしれませんが、それは一重に大人になり過ぎて大人しくなり過ぎて、子どもの頃の自分を忘れてしまった想い出せないくらい大人に成ったんだなとも考えられるかもしれません、子どもがいいのか大人がいいのかは解らないのですが、突き詰めるとそのようなどっちがいいかわるいのかというお話でもなく、言い換えて観ると外側だけばかりをよく観るように慣れて閉まった立派な大人なのか、内側だけをよく観るようになっている子どもの頃と同じようなモノなのかという自分自身のバランスが如何にしてあるのかについて考えて観ました。子どもがいるおかげ様で大人は大人として生きていられるでしょうし、子ども又大人たちがいるおかげさまで子どもでいられるような世界の中、自分自身を知る為に或いは又自分自身の主観的な自分軸を取り戻す為にも、大人たちは特に外側の世界を観る事としばらく置き去りにしてきたかもしれない内側の世界を観る事とのバランスについて、新しい始まりの季節ですが、少し念頭に意識して観ると自分自身が現在のところ、どのようなバランスでこの世界と付き合いながら観ているのかを知るヒントになり得るかもしれないと考えて観ました

人はみんなほんとに優しい人ばかりだとも想ふことが多々あります、それは自分自身の事を差し置いて、他者がどう想いどう考えどう感じるのかを人それぞれですが読み取り、常に協調したり仲良く平和的であろうとする様々から想い観る機会がありますが、そうした大人としてのいわゆるマナーだとか当然のような嗜みやあり方他者との付き合い方というものは、慣れ親しんで行けば往くほどに、他者から自分はどう観えるかは解るけど、自分自身は自分のことをどう観るのかがよく解らなくなって往くような物語を編む事もあるのかもしれないと考えて観ました。創造性のこの世界においては、解らない自分自身を自分以外のモノから知り自分とは何かを創り出す物語性とそんな解らないなりにも自分自身とはこうかもしれないああかもしれないという自分自身から観る自分への観測する物語もまた両輪として大切な物語性を帯びて往くようにも想い観ました、他者から自分がどう観えるのかを気にすることがけしてわるいことではなく、それと同時並行世界観としてならば自分は自分自身をどう観るのか観ているのか観えるのかのバランス感覚がときには重要なのかもしれないと考えて観ました、創造性の領域には上もなく下もなく優劣のような評価は絶対的でなく、自分自身がその主観でその軸でいいと想えばいいでしょうし、いいとは想えなければそうである物語性がある中で、外界と内界のある世界にでは常に自分から観る物語を選択肢として意識することは新しいこれから創り出す物語では大切な要素になり得るのかもしれないと考えて観ました

そう言えば自分自身はだいぶ大人になり過ぎたかなと想ふ節がもしもあるとしたら、新しい始まりのこの季節、より自分自身が自分自身をどう考えていたりどう感じていたりどう捉えて観たりどんな想いを抱いているのかという等身大の今を丁寧に見過ごさないように拾ってあげたり自分が自身を気にしてあげたりすることも又大切な物語を編む上では何かのヒントになるかもしれません

今日一日自分自身は何を想い何を感じたのか

そのことをより意識して観る物語

自分勝手はいけないと教わって大人になって来た物語がある中で、自分自身が自分自身をどう観るのかもいけない勝手なんだと信じて来たならそれは又違うのかもしれません、外側は外側ですし内側は内側ですが、どちらか一方に極端に偏っているかもしれない自分自身を知ることも又面白いと想えたなら、そうしたツールを活用して創造性豊かな自分自身を自分なりにこれから創り出す物語の一助になり得るのかもしれないと考えて観ました

以上

大変失礼致しました

ありがとうございました