こんにちは。

 

なりたい自分の一歩が踏み出せる

 Be-styleマインドコーチの新堂かなえです。

 

 

立春を迎え、

新年(旧暦)が始まりました!

 

 

春風に変わり、

だいぶ暖かくなってきましたね。

 

 

今日は、どうしてこの仕事を

しようと思ったのか、

というお話をしようと思います。

 

 

 

 

6年前、私は

レベル4の悪性リンパ腫を患い、

入院中、自分の人生をなげいていました。

 

 

ですが、家族や友人の支えがあり、

「生きなきゃ」と思ったんです。

 

 

父親との関係は

良好とは言えない仲でしたが、

 

 

それでも私のことを思って、

親身になって色々と調べてくれて、

 

 

父親を嫌っていた自分が

情けなくて・・・

 

 

「頑張ろう。」

と思いました。

 

 

そのかいあってか、

退院と同時に

寛解を得ることができました。

 

 

退院して、父親のもとで

自宅療養で体力をつけ、

介護の仕事をすることに。

 

 

介護の仕事に就いたのは

実は父親と色々とありまして、

 

 

嫌々ながら介護の仕事を

していました。

 

 

悪性リンパ腫を患った42歳で

生理が止まってしまったのですが、

 

 

子どもを産めるものだと

思っていたので、

 

 

子どもが産めない身体に

なってしまったことを

長い間受け入れられずにいました。

 

 

介護の仕事をしながらも

保育の求人を目にすると

目で追う自分がいて、

 

 

おもいきって

保育に転向することにしました。

 

 

厨房アシスタントから

保育園で働いたのですが、

 

 

そこの社員の方から

職業訓練校があることを聞き、

保育の専門学校に行くことに。

 

 

きっかけは子ども欲しさで

保育を学びはじめたのですが、

 

 

自分の幼少期の頃と重なって、

母親の支援の必要さを

感じるようになりました。

 

 

学校に行きながらも

イメージコンサルタントの仕事も

諦めきれないなか、

 

 

母親の支援として繋げられたら、

と思いながら、

 

モニター活動をしていました。

 

 

保育の専門学校に行きながら、

コーチングも学んでいて

その仲間から良く言われてました。

 

 

「保育とイメージコンサルタントって

 どういうこと?」 と。

 

 

2つあるのはだめなの?

と内心思いながら、

 

 

ビジョンを考えていった時に

 

 

母親の支援と

イメージコンサルタントは

繋げていけるのでは、

 

 

とおもいはじめました。

 

 

母親の支援、

とお伝えしましたが、

 

 

私の母親は、

 

 

父親に自分の気持ちを言うことが出来ず

何も言い返すことができない

 

 

男性の後ろについて歩くような

昔の昭和時代の女性でした。

 

 

私が小さい時は

ひっそりと泣いていて、

 

 

中・高と成人になるにつれ、

私が父親に対して

反抗心を持っていたので、

 

 

母親も、不満や愚痴を

子どもの前で言うように

なってきました。

 

 

今でもふと思うことがあります。

 

 

母親が私の前で不平や不満を

言わないでいたら

私は変わっていたのだろうか、

 

 

ということを。

 

 

夫婦のことは夫婦でないと

分からないことがあります。

 

 

それは子どもには

みることができないもの。

 

 

子どもに対して

母親が父親のことを

どのように伝えているのか、で

 

 

今後の人生に影響が

出てくるのではないかと、

私は思っています。

 

 

母親が子どもに、

父親のことを

どのように伝えているのか、で

 

 

考え方、思考が明らかに

違ってくるのでは。

 

 

ちなみに、受け取り方は

私は性格だと思っています。

 

 

そもそもなんでそんなことまで

見るようになったのか。

 

 

それは母親が倒れたことで、

父親と面と向かいあうことになり、

そこで父親の涙を始めてみました。

 

 

母親が高血圧が原因で倒れたことで、

右半身不随となり、

車いす生活になり、

 

 

生活が突然変わったことで、

父親の大変さを知ったからです。

 

 

そして、

 

 

母親の世話をすることによって、

 

 

母親のわがままなところや

頑固の側面があることを

 

 

知ったからです。

 

 

もともと、父親と母親が

家のローンや教育費など

 

 

私たち子どものために、

共働きで頑張っている姿を

知っていました。

 

 

だから、小さいながらも

嫌々だけど、

家の手伝いをよくしていました。

 

 

子どもは、

親が大好きな生き物です。

 

 

そして、

子どもは感情の生き物。

 

 

大人と違って、

事実を冷静に見極める目は

ほとんど持っていません。

 

 

大人でも、感情に身を任せて、

事実を自分の解釈で

作っているほどです。

 

 

だからこそ、

子どもを良くするなら

大人側の見る見方を変えていくしかない。

 

 

そう私は思ったのです。

 

 

つい先日、四柱推命で

私は、親の言うことを聞くタイプ

だったようです。

 

 

親に対して、

いい子でいることによって、

 

 

笑顔がみれるのであれば

それで十分、

と思っていたのかもしれません。

 

 

それがこじらせた原因でも

あるのですが(苦笑)、

 

 

子どもからしたら、

自分の身を守るためでも

あると思いますが、

 

 

ベストな選択だったのだと

後になってそう思います。

 

 

子どもはまだ術を知りません。

 

 

大人が世話をして、

みていかなければ成長はできません。

 

 

保育を学んだからこそ

明るい未来を作っていくのは

女性を輝かせることだと思っています。

 

 

子どもたちが

「大人っていいな」と思える

明るい未来を創りたいと思い、

 

 

女性を輝かせ、笑顔を増やしたい

 

 

という想いから、

 

 

自分を出せず、

自分の人生を諦めたくない女性に


あなたらしくいられる未来を

かなえていくために、

 

 

私は女性を輝かしていきます。

 

 

 

 

それもこれも、

そう思うようになったきっかけは、

悪性リンパ腫を患ったからです。

 

 

悪性リンパ腫を患ったことで

今があります。

 

 

病気をしていなかったら、

父親から大金をもらうようなことは

なかったし、

 

 

その大金がなかったら、コーチングも

学んでいなかったと思います。

 

 

自分の夢を歩んでいくことは

なかったと思います。

 

 

11年務めていた仕事を辞め、

転職で保証人の印を貰うときに、

 

 

父親から「縁を切るぞ」

と言われたことや

嫌々した介護の仕事を通して、

 

 

孤立を無くしたい

 

 

という想いもあります。

 

 

全てが必然。

 

 

だから、

悪性リンパ腫を患ったことも

父親とのことも

感謝しています。

 

 

 

 

ここまで読んでくださった皆さま

お付き合いありがとうございます(^-^)