私の尊敬する女性の一人、宇野千代さん(1897-1996)。
彼女の本が大好きで、何冊か持っています。
宇野千代は、欲しいものを次々と手に入れ、人生の創造そのものを生きた人です。
今日は彼女の著書「幸福を知る才能」から、幸せを創造する言葉をご紹介します。
「出来ると確信さえすれば、どんなに不可能に見えることでも可能なのである。人間の心というものが、そういう不思議な働きを持っているのである。」
彼女は、自分の幸せは自分が創ることを知っていました。
また、自分というものがなく、人生に責任を持たず、他人軸で不安なために、不幸ぶっている人のことをこう言っています。
「私は勿論不幸は好きではない。しかし正確に言うと、自分を不幸だと思うことの方がもっと好きではない。私が一番嫌いなのは、そう大して不幸でもないのに、自分をよっぽど不幸だと思わないと安心出来ないような人である。」
「一か八かを待つ顔は美しくない。虚しい。」
「そういう顔で生涯を終えるのは嫌だ。」
不幸な人は、自分が今持っているもの、受け取っているものに常に感謝することができない人です。
幸福はやってくるものではなく、選ぶものです。
「もし一かけらでも仕合わせになりたかったら、今日は日が照って気持ちが好いなあ、とか、今日は~(中略)とか、仕合わせを自分で作って自分で探すのである。それはただの作りごとでも好い。」
太陽は、誰にでも日光を降り注いでいます。そのことに感謝できるかできないかで人生の景色が変わります。
宇野千代は、なぜあんなにやりたいことを全部やり、成功できたのでしょうか?
それは、彼女が最初から宇宙に願ってなんかいなかったからです。彼女にとって湧いてきた「やりたいこと」は、次の計画でしかなかったからです。
「思うというのは、予期することである。」
参考文献
宇野千代 「幸福を知る才能」 1989年 集英社文庫