こんばんは♪
スピリチュアル~はじめのいっぽ~かなえです(^^)
明日から10月ですね。
10月から、チャクラ講座に通うことにしました。
レイキでは、チャクラに手を当ててヒーリングエネルギーを流すことがよくあるので、チャクラをしっかり理解、体感してきたいと思っています。
さて、「アガスティアの葉」(青山圭秀著)を読み終わりました。
この本は知り合いの方の本で、何冊か見せてもらった中から、縁あって借りることになりました。
この著者の方を存じ上げなかったのですが、サイババを紹介している「理性のゆらぎ」という本を書かれた方だそうです。
運命は最初から決まっているのか、それとも人間の自由意思で決まるのか、この問いを胸に著者はインド、チベットへの旅に出ます。
途中、医学やアーユルヴェーダや占星学との出会いもある中で、“アガスティアの葉”を見る機会を得ます。
“アガスティアの葉”とは、すべての人の過去世、今世、未来世を正確に記した予言書なのだそうです。
それがことごとく当たっていて、すべてが最初から決まっているのか。。人間が決められることは何もないのか。。と著者はショックを感じます。
旅の最後に著者が、サイババに会って、運命と自由意思のどちらなのかを聞く機会を持ちます。
著者の質問にサイババが答えますが、、どちらなのでしょうね。真実はどうなのかはわかりません。
そして話題が変わり、その後に続く話しが私的にはいちばん興味をひかれる発想だったので、少し紹介させていただきますね。
“われわれが互いを尊重し、愛し合うこと。もしそれにあえて理由づけをするならば、それはあらゆる存在の中に、たった一つの神性が宿るからである。それだからこそ、われわれの行為というものは、誰に何をしたとしても、全て神に捧げられたものとなる。”
(10/1追記)
著者はカトリックの洗礼を受けているのですが、インドでヴェーダを学び、ヴェーダの継承者としてヒンドゥ教の儀式を受けるように勧められます。
異なる宗教が自分の中で同居出来るのかということに向き合うことになり、葛藤を経験します。
また、アガスティアの葉に書かれたカルマを解消する儀式のひとつに、貧しい人々に食事を供するというのがあり、それを実行したつもりが、見た目は貧しくない寺院関係者に平気で食べられてしまったことに驚きを隠せなかったりします。
そんな経験をしてきた著者ならではの言葉だなぁと思いました。目の前のことや目の前の人を、含んで越える大きな視点を引き寄せたのだなぁと思いました。
今日も皆様が光とともにありますように(^^)
ありがとうございました。