久しぶりの投稿になります。
公式LINEアカウントに友達追加してくださってる方々や、Instagramのフォローをしてくださってる方々にはご連絡させていただきました。
今年秋、枚方市楠葉に置いておりましたケア処を閉室させていただきました。
元々は自宅での出張専門での開業届を出したのは2005年。
ケアを提供できる場所を開室したいと思い、来所可能施設としての開業届を提出したのは2020年。コロナの話がじわじわと出だした頃でした。
それにも関わらず来所してくださったママさん方々、そして、訪問希望でお呼びくださったママさん方々、本当にありがとうございました。
今年に入ってから「どう生きるか」を考える機会があり、私はどう在りたいかの問いに、ただただ将来は南の海のそばで生きたいということでした。
それが今年の夏至、知り合いの方に誘われて参加した南の島巡り、ここから一気に想いが現実化しました。
島の仕事を手伝わないか?
その3ヶ月後の秋分の日には、その島に私はいました。
島民200人くらい、その6割はご老人。
そこに助産師としての仕事はなく、島の仕事を手伝う毎日。
一時は私は「元助産師なのか?」いや、これからも「助産師で在り続けたい」という思いの狭間でうろうろとしました。
でも、自分の肩書きに「元」を付けるのか付けないのか、もうそんなこと他人にとやかく言われることではない、助産師魂を持ち続けているのなら、それはそれで拘ることもないのかなと思い始めました。
助産師の仕事は実は多様です。
お産に関わる人もいれば、産後の特化して関わる人もいる。
子どもの発達を専門とする人、グリーフケアを携わる人、思春期から若い女性に手を差し伸べたいという人もいる。
そしてそれだけではなく、家族そのものの有り様を考える人、女性の生涯を見据える人。
私はそのどれにもに関わらさせていただき、本当に助産師として育ててもらったと感謝しています。
そして、母親が認知症になり命を全うするまでの間の思い。戦後の時代に子育てと家事を頑張り、夫を支え精一杯生きて来た女性が、認知症になったからといって、こんな風に扱われるのか…という理不尽な思いでした。
自分が更年期の時期を迎え、体調の変化や心の変容を体感することになり、
私は胎児期から老年期の全ての女性に関わりを持っていけたらと思うようになりました。
「'生まれるくる' にいっぱい出逢って来させてもらったから、'死に逝く'ことも目を背けないで向かえる人でいたい」
そんなことを考えるようになったのが、ちょうど島を訪れた夏至の頃でした。
そんな経緯もあり、一気に人生の舵を切った形です。
毎日いつも海を感じながら過ごしていく毎日で、SNSに溢れている情報と、戸惑いながら子育てをするママさん達の想いや声を読むことが多いです。
これこそ私がずっと携わって来たことなのに、自分の素性も明かさないで助言したり、コメントしたりもはばかれてしまう。
じゃあ、ここでママさん達が悩みがち迷いがちなことを書いていくのも大切な活動になるのでは…と思っています。
そういえば、数年前はいろんなことを書いていたなと振り返って読んでみたりしました。
何年前か、乳汁生成期の話を書いた時と流産を体験した話しを書いた時、すごく記事へのアクセスが上がったのを記憶しています。
そんな風にまた情報や体験を書いていけたら、私が助産師の私で在ることにも繋がれると思います。
何度かケアをさせていただいたママさんに、「せっかく出会えたのに残念だけど、また違うかたちでもお会いしたい」とメッセージいただきました。
本当にありがとうございます。
南の小さな島からまた発信させていただきます。