自分を大切に思えなくなったとき、私は以下の二つの行動をする。
①ボランティアをする
これは、とてもいい方法だと思う。ボランティアは、誰かに『ありがとう』と言われる行動だ。しかも、ゴミ拾いであったり、イベント補助であったり、農業であったりと多種多様で、あまり話さずともよい場合もたくさんある。すなわち黙々と行動しているだけで人に感謝されるのである。
私は。生きていてもいいのだと、大げさではあると思う。だけれども本当にそのように感じられるのである。
②感動したことを自分にしか見えないメモに書いておく
これは、ある種パターンを覚える勉強のようなものだ。『あの人は何か問題があったら嘆くのではなく、解決策を提案できる人だ。すごいなあ』だとか、『あの人は自分の利益にならないような、店員といった人にも優しいな』だとか、日常で思った、素敵だなと思ったことを書いておく。これを自分に応用する。
私は最初から、どうしても気付くことはできないから。せめて。
これをすると、少しずつ考えがかわってくるように思う。少しだけ、毎日成長できているように思え、僅かに自分に良い感情を抱くことができるのだ(もちろん、変化それ自体は事実小さなものなのだろう)。
ちなみに。できればよいことばかりを書くのが良い。
私の場合だけかもしれないが、悪い思い出よりも良い思い出の方が、すぐに、跡形もなく溶けるように消えていくように思う。
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私の自尊心というものは、驚くほど歪である。
私に対して他の人が抱く第一印象は、自分でも驚くほどよい。
(例えば、一度町に出れば、高齢者の方や女性の方に道を聞かれたり、謎のセミナーに誘われたりする。きっとよく言えば温和、そうでなければ無害そうな顔で歩いているのだろう)
しかし、接していくうちに次第に、何度も取り返しのつかないことをする。
相手を傷つける。
会話のリズムがくるっていく。
相手の顔がゆがんでいく。
そしてそれまでに得た経験値が、好感度が急落する。
毎度毎度のパターンである。
こういった人間関係を築いていくと、次第にすべてが怖くなり、自分を大切に思うことができなくなってくる。
夜ごと一日の反省と、かつての自分の愚かな行動を思い出して涙がこぼれてくる。
それでも、生きていくからには自分と向き合わなければならないのだ。