33歳になった頃、当時(たぶん)言葉になって間もなかった‟婚活”を始めました。
何しようか、、、と動き始めようとしてわかったのは
・どんな人がいいかな?
・自分のアピールポイント
が、はっきり言葉にならないこと。
だから、結婚相談所などに登録するにしたって自己紹介シート的なものが書けないってことに気づいたのです。
今思えば、言葉にならなかったのは
・こんなこと言ったら変に思われるかな
・どういう人が好かれるか?
完全に他者目線に合わせようとしてたから。
できるだけ早く結婚したい!という固執とともに。
そりゃぁ、出てこないよねぇ。
答はひとつじゃないし、人がどう思うかなんて結局わからないのだから。
でも、そのときはそうとしかできなかった。
それはそれでよかったのです。
なので、とりあえず一緒に何かするみたいな、山登りとか、散策とか、そういうのに参加してみたり
ものすごく苦手たっだけど合コンのお誘いがあれば行ってみることから始めました。
九州に移ったりなんだでしばらく遠のき、婚活を再開するタイミングでマッチングサイトに登録。
これもめちゃめちゃ怖かったけど、どういう出会い方だとより自身のままにいやすいか? いろいろやってみて、わかってきていたから「やってみよう」ができた。
複数より1対1とか
自己紹介欄には、いいとこアピールというより、今の自分の素直な気持ちを書きました。
‟こんな人がいい”は、10個くらい素直に言葉にできるようになっていました。
そうして出会ったダンナさんは、その10個に全部当てハマっていた人でした。
そのときはまだ言葉になっていなかったけど、あぁ、そういえばこういう人がいいって思ってたわっていう部分も、付き合いが進むごとにダンナさんを通して気づいていきました。
いわゆる、最高のダンナさんです。
こういうところもうちょっとさ…はもちろんあります。
それに対してのダンナさんとのやりとりで、気づかされることがたくさんあります。
そこがまたいいじゃないのっていう最高さです。
何が言いたいのかというと、
起こることを通して望みが明確になっていく
ってあるよねってことです。
ちょっと違うんだよなぁ…
もっとこういうのがいいです。の、
‟こういうの”をわかっていく体験。
ダンナさんとの出会いは、そんな体験の積み重ねの賜物でした。
漠然としているもの
でも確かに望みたがっているもの
それを「言葉」にするという創造の一歩。
今わからないことはひねり出さなくていい。
出したいものが出せるように事が起こってく。
だから、
かすかに湧く‟やってみよう”に素直でいよう。
どうだったらできそう?
何からだったらやれそう?
そんな寄り添い方で。
やってみながら、そのときそのとき必要なことに気づいていく。
失敗で終わっても、自然消滅しても、悲しくなっても、悔しくなっても、それはそれでよかったのだ。
そのひとつひとつの体験を味わいながら進む人生は、まるごと最高の人生になると思うのですよ。