現在77歳の母。

とても元気に暮らしてます。

 

免許返納のタイミングについて母が口にし出したのは2年前くらいから。

運転に不安はまだないけど、次の車検をどうするか?をきっかけに考え始めたようでした。

 

車がなくても宅配や公共交通機関で今の暮らしはできそうだとわかっている。

 

でも、車はあったらあったでやっぱり便利。

 

事故が起きてからじゃ遅いけど、不安要素も(本人曰く)ないうちから手放すことを決めるって、なかなか決断しにくいよなぁ…と、母の話を聞きながら思ってました。

 

まぁ、そのときが近づいたらまた話をしよう。

 

そんなこんなで時は過ぎ、あっというまに‟そのとき”がきた(笑)

 

 

 

次の車検は9月。

その前に保険が7月いっぱいで更新時期。

免許更新は来年の2月。

 

「やめるなら7月いっぱいよね~…」

 

と言いながら、自分では決断しかねている雰囲気。

 

ダンナさんも一緒に話をして、結局この7月いっぱいで車も免許も手放すことに決まりました。

 

 

 

「お母さんは、きっと背中を押してほしかったんだよね」

 

帰ってきてから、ダンナさんが言った。

私もそうだと思う。

 

私:「もうちょっと乗ったら?ってほんとは言ってほしかったろうね」

 

ダ:「もうここで終わりにしようって言ってほしかったんだと思うよ」

 

 

…えっ?

そっち?!

 

「背中を押してほしかったんだよね」→「そうだね」で終わってたら、全然違う受け取り方してるのに気づかないでオワッテタヨ(゜゜)

 

表面化しないだけで、こういう受け取り方違いってそこここそんじょそこらじゅうで起きてると思う。誰との間でも。

 

解釈は人の数だけありますね~。

 

 

 

母の実際のところはどうだったのか?

背中を押してほしかったのかも聞いてないしわからない。

 

どっちの気持ちもあったかもしれない。

ひとつに片づけて答を出そうとしなくてもいい。

 

大事にしたいことは

「安心して楽しみながら暮らせたらいいね。お互いに」

 

そのうえで話ができたかな。

できていたならいいなと思った今回の件でした。

 

 

 

わかってるように思っても、どこまでも‟今の自分なりに”どまり。

 

どこまでも誰もがそのときその人なりに受け取っているだけ。

 

違いがあるもの、奥行きがあるものだと知っていて

わかりあいたいのなら、わかりあえたらいいねっていう気持ちを大事にできたなら

 

実際がどうかは重要なことではないのかもしれないですね。

 

 

アタシも仲間に入れてよアピールがすごかった人。もといワンコ。