先日、思い出して話す機会があったことを、こちらにも。

 

 

なんかやりたいけど何ってのも思いつかない。

とりあえずできることを始めてみたけど、一人で進むことに詰まって起業塾に入りました。

 

ビジネスというものを学んでみようかと。

 

そこでは、すでに事業をしている人、これから始めたいと思ってる人など、自分にとっての“これ”というものを持っていて、そこに注いでいる人(注いでいきたい人)との出会いがあって、それはそれはとっても刺激を受けました。

 

私もいつか彼女たちみたいになりたいなぁと。

 

 

 

その後、始めていた事業を展開していくことはやめて、ライティングのお仕事を始めることになりました。

起業している方のプロフィールを書いたり、インタビューをして紹介記事を書いたり。

 

ここに至ったきっかけ、ターニングポイント、どんな想いを持って活動しているのか…

好きなことややりたかったことで事業を始めた人たち。その人生に触れていく時間は心が震える時間でもあったし、今でも私の中にエッセンスとして残ってます。

 

 

 

でも今思うと、そのときの私は答を見つけたくて仕方がなかった。

 

どうしたらあなたみたいになれますか?

どうしたらあなたみたいにこれというものを見つけられますか?

どうしたらあなたみたいに決めたことに注ぎ続けることができますか?

 

どうしたら?は人それぞれだってわかっている。

それでも何か、何か見つけられるんじゃないかって。

 

そう思ってたことにも当時は気づいてなかったです。

あぁ、ありがたいなぁ。今日も素敵な話を聴いたぞ~って思ってた。

↑これはこれでほんとの気持ち

 

 

 

で、そんな風にモデリングできる何かやヒントを探し続けても、答には出会えなかったのですよね。

 

外に答を求め続けてた間

 

もっと私を見てよ

私の話を聴いてよ

 

自分の中でこんな声が響いてたかもしれない。


その声を知ってか知らずか、しばらくして私は自分の話をする・聴く場に身を置くことになるのです。(それもそういう場所と知らずに(^^;)

 

 

 

先日話を聴いてたとき、現象としては違うのだけど答が欲しくて仕方がなかったあの頃を思い出した。

 

そしてこれはもしかすると、過去の話じゃなくて今の私が伝えたがってる言葉かもしれないなとも

 

私は自分の話を聴けているかな?

ちょっとこの頃おざなりだった気がする…

改めてゆっくり時間をとってみようと思ったのでした。

 

その人が今在るがままに自分を表してくれたおかげです。

 

 

 

どんなときも答は自分の中にあるけれど。

その答に近づいたり気づかせてくれるのは、起こる出来事や人との関りからだったりする。

 

内側 ↔ 外側

自分 ↔ 他者

見えないもの ↔ 見えるもの

 

分かれているようにみえて、全部でひとつ。

 

どこまでも思っている以上に助けられているし、

思う以上にみんなで一緒に生きているようです。