失敗嫌子を名乗ってきた身としては

もとい、名乗ってるかのように生きてきた

 

‟注意される”のは是が非でも避けたいことでした。

 

なんでそんなに怖がっていたのか?は今日はさておき

‟注意”についてふと思ったことについて。

 

 

 

いつのまにか

‟注意される”=怒られる、叱られる

になってたのだけど…

 

注意って

意を注ぐ

って書くのですよね。

「気を配る」という意味も。

 

意を注ぐって…なんか良い感じしない?

こう聞くと嫌なことじゃなくない?

むしろしてもらえたら嬉しくない?

 

私を見てほしいとか散々思ったことありますよ(゜゜)

 

 

 

注がれる周りの意識は、

わたしが悪いことをしないように

間違えないように

見張ってたのだろうか?

 

そういう目もあったかもしれない。

それ以外にも、というかそれすらも

 

安全であるよう見守ってたり

がんばれーっていう応援だったり

実は「愛してる」の現れだった…

かもしれないのにね。

 

 

 

 

大切な誰かに意識を向けている時、どんな気持ちだろう。

自分に対して意識を向けているとき、どんな気持ちだろう。

 

どんな意を注いでもらえたら嬉しいだろう?

 

そんな‟注意”を自分にも周りにも向けていけたらいいなぁ。

そして向けられる‟注意”もありがたく受け取っていく。

 

中には、怒る・叱るという注意の現れもあるかもしれないけど。

他にも嫉妬とか

 

どう表すか

どう受け取るか

自分なりに堂々と。

 

そうしたら、他の人の「自分なりに」も認められますね。