前回の記事の最後で、桜になんでこんなに惹かれるんだろう?から出てきたこれ↓

時がきて咲いている。

桜は桜でいる。

 

それだけなのにね。

って、自分で書いててやけに沁みた。

 

ので、今日はそれについて書いてみようと思います。

 

 

今日は昼バージョンの桜で

 

 

ここぞとばかりに咲き誇るような桜の姿って、もっても1週間くらいじゃないですか?

 

ポツポツ咲き始めて

ぱぁ~って開いて開いて開いて

葉の緑と混ざりながら

ひらひらと散ってく。

 

それ以外の時間ほとんどは緑の葉っぱだし、

秋になるとそれも色を変えていく。

落ち葉になって、冬の間は幹と枝だけになる。

 

花が咲き誇るのも桜だし

緑の葉が生い茂るのも桜だし

葉がなくなっても桜は桜。

 

 

 

桜は花が散ってみんなの注目がなくなっても、夏や秋や冬に無理に花を咲かせようとしたりしない。

 

常緑樹みたいに冬でも葉っぱが落ちない木に憧れたりしない。

 

…たぶん。

 

わたしたちも年がら年中桜に咲いてもらいたいと思ってない。

むしろ、あのパッて咲いて散るのがいい! なんて言われるくらい。

 

にもかかわらず自分ごととなると

波を波として受け入れられなかったり

注目の有無に右往左往したり

他の何かになりたがったり

何かしらの「いい状態」であることを目指したり…

 

するよね~

してきたよね~

 

あぁ…

 

 

なんでかっていったら、やっぱり誰かに喜んでもらえるってすごく嬉しいことだからだと思うのですよ。

 

もう、そういう生き物なんだ。

 

正確に言うと、喜びを感じ合えるのが嬉しい。

 

それを自分の喜びを明け渡してまでも叶えようとすることがある。

 

 

 

こんなはずじゃないとなんとかしようとしたり

やりたいことより注目されるためにがんばり始めたり

喜んでもらえてる誰かみたいになろうとしたり

どんなときも‟いい感じ”と思う自分でい続けようとしたり

 

なんとか、なんとかって。

考えたらどうにかできると思ってるから。

自分ががんばればなんとかなるって。

 

元の元には、きっと誰かの喜ぶ顔がある。

 

それがみたくてがんばってきたんだよね。

いつの間にか目的がすり替わってたり、勘違いなことしてたとしても。

 

 

 

 

でも、他の何になろうとするでもなく、あるがままの姿や、そこからかもし出されるものが喜びになることって身の回りに溢れてて。

 

刻々と変わる空模様や、抗わないで生まれた自然の景色、植物や動物たち、…

 

人間だけそれができないなんてこと、あるわけないですよね。

 

そんな特別じゃない。

 

 

 

時がくれば何度だって咲くし

花がなくても桜は桜。

 

どんなときもわたしはわたし。

どんなときもあなたはあなた。

 

抗わないでいる。

自・然 として在ることの力強さと美しさを、桜に見せてもらったような気がします。

 

 

 

 

ただ、きっと桜は、咲くことは決めている。

 

たぶん。

 

だってそれが桜だから(笑)

 

 

 

この命を生きると決める。

 

だけでなく、私たちはどう生きたいか

あっち↑ こっち⤵ と、意図することができる。

 

でもまずは、この命を生きると決める。

 

そこにやってくるものに、抗わずにいると何が起こるだろう?

 

そんな生き方もいいんじゃないかと思っています。

 

 

山の中でひっそり花開くのも美しい

 

…と、今回も写真大盤振る舞い(笑)

 

お花見散歩で撮れ高いっぱいでした。