実家のお片づけをしていたら、『世界美術全集』なるものと出会いました。

 

 

美術は興味のある分野ではなかったのですけど、知ってる名前ということでゴッホの本を手に取ってみたら、そこに書かれていたゴッホ像に親近感。

 

ゴッホといえば、耳を切るとか、自殺とか、作品よりもそちらの印象に引っ張られて「なんか怖い」イメージだったのに。

ゴッホに対してこんな気持ちになるとは……歳を重ねてみるものですね。

 

 

 

ゴッホというと、一途すぎるほどに画に打ち込んだという(これも私の中にあった)印象だけど、27歳で画家としての道に入り37歳でピストル自殺するまで画家人生は10年。その間に2000点もの作品を残したと言われています。

 

それまでは、何かしたいけど何をしたらいいのかわからない。

そんな迷いの中にあったようです。

 

何をしたらいいのだろう

たしかに僕の中には何かがある

しかし、それは何なのか

 

画商の店員、寄宿学校の教師、書店の店員、伝道師…

どれも必死で打ち込むも、長く続くことなく失職。

 

ただ、‟無能力者だったわけではない。彼は有能だった“と、この本の中で美術評論家の故・中原佑介さんは評してます。

 

 

ゴッホという人間のドラマを形成したのは、彼の性格ではなく、思想である。

かれはこの社会において絶対的な愛の実現を望んだ。

それは崇高でもあるが、狂信的でもあった。

恋愛においても、また教師や伝道師の仕事においても、彼を特徴ずけているのは、狂おしいばかりの自我の否定ということだろう。

 


絶対的な愛の実現願望は、想い人への熱烈なアプローチにも形を変えて現れます。

頭がおかしいと言われても仕方がないくらいの奇行。

そこだけ見ると完全に引くやつ。

そして失恋。

 

持っている熱量は人一倍。

それをどう表していいかわからない。

でも、表さずにもいられない。

すごく不器用で、自身に純粋な人だったのだろうと思います。

 

 

 

ゴッホのすごいところは、認められるために何かになろうとか、こんな自分を変えようとしなかったところ。

 

いや、してたかもしれない。

できなかっただけかもしれない。

 

けれど、どこまでもそんな自分のままで目の前のことに打ち込んだし、夢を見たし、人と関わった。

 

それは時に狂気的で、痛々しくて、精神を病むほどに自身を追い込むものであったけど、そんな彼だから生み出せた作品があり、彼の人生と作品達が時を超えて今も私たちの心に訴えるものがある。

 

人生とは、なんて、なんて、奥深く豊かなのだろう。

 

 

 

 

ゴッホが観ていたものに触れたくて、観に行ってきました。

 

プラネタリウムで星空とゴッホ。

展示室で同時開催中の動くゴッホ。

 

 

目や口が動くのです…

何が言いたいのかなっていう気持ちになる。

それが何かはわからないけど、わからないまま置いておく。

 

 

「人が感動する絵を描きたい」

 

ゴッホはそう望んでいたそう。

 

心が動く画 として生み出された作品達は残った。

その実感を生きてる間にどれだけ感じられていたかわからないけど。

 

狂おしいまでの創作活動を通してそれは叶った。

ゴッホバージョンの望みの叶い方。

 

周りから見れば不遇な人生だったかもしれないし、辛いと感じることもいっぱいあっただろう。

でも、好きな画を描くことに集中することができて、自分を信じてくれる弟さんの存在にも支えられて生きたゴッホの人生は、悲しみと狂気だけじゃなかったよね…

 

 

 

 

どんな人生で、どんな思想や性格で、どんな状況にあっても、

そういう私だから表せるものがある。

そういうあなただから表せるものがある。

 

それが何か、表していく中で「こういうものでした」って見えてくるのかもしれないし、ゴッホみたいに生きてるうちにわかることはないかもしれない。

 

でもきっと、どこかで誰かの何かにはなってる。

わたしたちは影響を受け合わずにはいられないのだから。

 

やってみたい気持ちにまっすぐに。

望みを放つことを忘れずに。

それが実際何になるのか知ることはなくても種をまいてみよう。

 

いいから夢中でやってみな

 

ゴッホを通して受け取ったメッセージ

(2024年にしやまバージョン)

でした。

 

 

 

福岡市科学館

6階 プラネタリウム

「ゴッホが描いた星空」は6/3まで。

 

 

3階 企画展示室

「動くゴッホ展」は6/16までです。