「いわゆるポジティブもネガティブも心が動いているってこと。
心が動かない状態のほうが気がかり」
ちょうどこの話題を見聞きすることが続きました。
確かに…
心が動かない、疲れているときって、ネガティブの中にいる時に比べて色味がない。色は見えていても色として感じてないというか。
ただ、そんなときにも‟心を動かそうとする働き”が起こってたなぁと思い至って、ちょっと感動しています。
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20代の頃、軽うつっぽくなったことがあります。
内心、もうどうなってもいいくらいに思っていて、どれくらいたってからか体を壊して動けなくなった。
その頃、食事はおざなりだったけどドラマは見てたのですよね。
ドラマを見ると、登場人物と一緒にドキドキしたり、せつなくなったり、あったかい気持ちになったりする。
たぶん、大きな動きとしては感じられていなかったろうと思うけど、それがひと息つける時間になってた。
あれは、心の動きを感じたがってたのかもしれないなぁ。
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SNSが身近になって。
なんか見るのをやめられないなーってときに、ふと疑問に思った。
こんなことしてる場合じゃないのにと思いながら見る手が止まらない。
見ていて楽しいわけでもないのにまだ見てる。
ん? 何がしたいんだろう?
何かを探してるみたいだ。
何を?
→心を動かしてくれるものを。
あぁ、私は心の動きを感じたかったのか。
それだけが理由じゃないにしても、その答に妙に納得したのでした。
SNSにそれを求めなくてもねー
って思えるくらいだったら、きっとこうはなってない。
そのときは、そうせずにはいられない何かがあったのだろうな。
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ちょっと違う例で言うと、そういえば最近全然撮ってないなーと思ってカメラを手に出かけてみたときのこと。
全然写真に残したいという気持ちが起きなかった。
撮りたいものがそこにはないとも
撮らなくていいともちょっと違って
何を見たいとも思ってないような。
なにげなくパチパチ撮ってたあれは、心が動くからシャッター押せてたんだなぁ。
どうやら私は今、思ってるより疲れてるみたいだ。
写真を撮りに出たことで、そうと気づくきっかけになったこともありました。
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あるのが当たり前すぎて見てなかったり、感じたくないものを感じずにすむようにって散々してきたけど
心を動かしたい。感じたい。
それが人の自然の営みで、生きるのに大切なことみたい。
ギリギリなんとか心が動くところに留めようとしたり、お疲れですよーって教えてくれたり、その大切な‟感じること”をときに停めてまでも命を生かそうとしたり。
そうやって生かされてきたんだなぁ。
お笑いコンビたんぽぽの白鳥さんは、どんな気持ちを感じても、
「よし!心が動いてるぞ!大丈夫だ!」
って自分を励ましていたそう。
ポジティブ・ネガティブ
明るい・暗い
軽い・重い
状態を示す言葉はいろいろあるけど、
‟心が動いている”でひとまとめになるの、なんかいいなと思う。
よし!心が動いてるぞーーー!!
…なんて思えなくても、そう心が動いてるから大丈夫ってことになってしまうのなんかいい(笑)
心が動いてるから大丈夫って歌のタイトルみたいだなって思ったら、「愛があれば大丈夫」って歌がありましたね。
どんなに迷っても
泣いーても
心が動いてるからだいじょうぶー♪
…字余り。
もう、心が動くのも愛ってことにしよう。