映画「PERFECT DAYS」を観て1ヵ月。
この映画の何がそんなに良かったのかなぁ…と寝かせた中で、言葉になったものを書いてみようと思います。
派手なアクションも、答が気になる謎ときも、ドキドキする展開もない。
そのぶん「感じる」に集中できるというか、するしかない(笑)。
時間をおいて出てきたこの映画を表す言葉は
対比っていいね
でした。
様々に対比が散りばめられている。
それが表すものに溺れそうになった。(嬉しい意味で)
‟いつもやってること”があることで、変わりゆくものに気づく。
美しくおもしろく映るもの、戸惑いや怒りを引き起こすもの、切なさや悲しさを感じるもの…
主人公の平山さんは、それをただ起こったこととして、ちゃんとその中にいるように見える。
その姿がとても尊く見えました。
‟いつもやってること”があることで‟いつもの”に戻れる。その安心感もあるのかな。
ただ、"いつもの"も同じではないと知っている。
「変わらないものなんてない」
それは、"いつもの"と合わせて色濃くわかる。
人と人の関りを通して、より「個」が浮かび上がる。
平山さんや平山さんと交わる人はどういうひとなのか?
映画を観始めたときと観終わったときでは印象が変わる人も多いんじゃないかと思います。
自分がどんなフィルターをかけていたのか?
それが差し変わるおもしろさ。
浮かび上がる「個」は、画面の向こうの人たちだけでなく自分自身もっていう。
しびれる…♡
平山さんとわたし。あなたの喜びはなんですか?
平山さんの中にも対比がある。
それは歪さや矛盾に見えるものもあるけど、それまるごとでパーフェクトに平山さん。
そんな平山さんに何をみる?
まるごとでパーフェクトなあなたの喜びはなんですか?と問われている気がしました。
それは、どんなとき、どんなところでも感じることはできるのだよと。
対比ってなんて豊かなんだ。
こんなにもいろんな世界があるとわかる。
だから私がいてあなたがいる。
私もあなたも、誰かや何かにとってのいち素材、いち因子なんだ。
…と、こんなふうに何を感じるかも観る人に全面的に委ねられている。
わかりやすいオチがないのです。
どう感じてもらってもいいですよ。
むしろ思うままに感じてください。
「感動」も「胸キュン」も「謎解きのワクワク」も「痛快」も「癒し」も、何も約束されていない。
その代わり、ある意味全部があるのかもしれない。
「こんなふうに生きていけたなら」と、ポスターには書いてあるけど、‟こんなふうに”をどう受け取るか? もきっと千差万別。
どんなふうに生きていきたい?
あなたにとってのパーフェクトな日々とは?
きっと、すごーーーーく自分と話をしたくなるんじゃないかなぁ。
静かなぶん、自分の内側で動くものをより繊細に感じられる映画だと思います。