クリスマスコンサートをしました。
ピアノを弾いております
何度やっても緊張する。
思うように弾けることもあれば、そうはいかないことも。
なんでここで?ってところで間違えたり。
今回もご多分に漏れずです。
でも今回は、
緊張してるけど落ち着いていて
間違えても引きずられることはなくて
全体的にゆったりと楽しめたなと思います。
これって、私としては結構すごいこと。
場慣れもあるだろうけどそれだけじゃないと思っていて…
意識をどこに向けるかで変わってくるのを実感しました。
ふっと「こうなったらどうしよう」に持ってかれそうになるときに思い出していたのはこのへんのこと。
- うまくできることにこだわらない
- 大元の望み・願いに意識を向ける
(言葉になるようでならないようなイメージに近いものも含めて) - 起こることが起こるようになっていると信じる
以前は、本番だからこそうまく弾きたい!ってすごく思ってました。
うまく弾ける=思ったように弾ける=お客様によいものをお届けできる=喜んでもらえる
って思ってたので。
この、弾ける/できる/成せる
私が間違わずにうまくやりさえすれば
っていう重苦しい呪いをかけるのをやめた。
これを通して何がしたいのか? それは、
「こうなったら成せる!」って思ってるものに限らないかもしれない。
思うようにいかなくても生み出したいものは生み出されるのかもしれない。
そうならなかったとしたら今はそれでよかったってことなのかもしれない。
「うまくできたからこうなった」って思ってたことも実はそうじゃなかったかもしれない。
この、‟かもしれない“ を採用してみたら
力を抜いてそこにいることができた。
それが、演奏を楽しむことにもつながり
お客さんに喜びにもつながり
成したいものが成せたと感じることにもつながり…
ってことが起きたのかもしれない。
演奏の質も在り様ももっと磨いていきたいし
これでいいとはならないけれど
今はこれが起こるべくして起きたことなのかもしれない。
どこまでも「かもしれない」なんじゃないかと思う今日この頃。
だったら、いいなと思う「かもしれない」を見にいったらいいですよね。
久しぶりの再会の喜びとか
かわいい笑顔とか
あったかいつながりとか
この日このときこの場所に集ったお客さんたちと、世界の心の温度を2度くらい上げたと思う ‟かもしれない” を採用しようと思います。