わたしは今何を言いたがっているのか

 

 

わたしが感じてることは何?

 

 

そんな風に、矢印が自分の内側に向いて

とつとつと言葉にし出す。

 

 

そうして紡がれる言葉を聴くのがすごく好きです。

 

 

 

 

誰かから聞いた何か

世間的に良しとされている何か

そんなもんだ、そうするべきだ、そうするしかないと思ってきた何か

言いたいけど我慢した何か

あたまでわかっている何か

気付いた何か

ではなく

今、"わたし"の中から紡がれている言葉。

 

 

それを感じるとき、

「心の音が鳴りだした」と思う。

 

 

その音はすごくあたたかく響くのです。

 

 

言葉だけとって見たら支離滅裂でも、とりとめなくても、伝わるものがある。

それが伝われば充分じゃないかと思うくらいのものがそこにあるんです。

 

 

いや、充分はうそ。

そうしていけばいつかは答や明確な言語化ができるだろうし

そこから互いの力を合わせて本当に表したいものに近づいていける。

そんな在り方がそこにあります。

 

 

 

 

そのあたたかさを感じるとこちらにも湧きおこるものがあって。

そこから発する言葉は、きっと今、私が表す必要のあった言葉になってるのだと思う。(相手がどう受け取るかは自由)

 

 

その人にとっての"必要"なのか

私にとっての"必要"なのか

その境目も曖昧になる感じ。

 

 

共鳴・共振が生み出す循環。

奏で合いと響き合い。

 

 

"わたし"が感じているものを表すとき

それは 伝わる になってしまうんだなぁ。

 

 

私自身もできたりできなかったり。

そういう表現ができる私になりましたというゴールはきっとないし、

いつもそういう自分でいなくてもいい。

 

 

ただ、そんな表現が世界に溢れたらいいなぁと思う。

 

 

この循環が起こすもの、その先は、自分も世界も幸せにしかしないという確信だけはなぜかあるのです(笑)