言葉って難しい。

 

 

「自分を責めるのはやめよう」

そう見聞きすればするほどに、自分責めをやめられない自分を責めたことがあります。

 

 

でも、じゃぁその言葉がよくないの? 伝え方の問題なの? というと、そういうことでもなくて。

 

 

「私もそう在りたい」と思う姿を見せてもらえたことをありがたいと思う。

言葉にしてくれる人がいたから「変わりたい」と思った。

それがなければ、責めてることすら気づかなかったかもしれない。

 

 

誰かの言葉や在り方に影響を受けて勘違いや空回りをしたとしても、それは自分に必要なひとつの経験だったと後からわかることがあります。

 

 

 

 

言葉っておもしろい。

 

 

言葉にしなければ伝わらないけれど、言葉にした時点で別のもの。

その解釈や意味付けは人によって様々で、受け入れられるものほど言葉や思想は独り歩きを始める。

 

 

でも、それでいいのかもしれない。

これという何かに納まらないことが、言葉に表しきれないものを伝えることにもなっているのだから。

 

 

こうして私を通して発してることだって、どう伝わってるかわからない。

何せ私自身、言葉にしきれてないと感じることもいっぱいあるから困ってしまう。

 

 

「これで伝わった」

「表現しきれた」

なんてことはそもそもあり得るんだろうか?

 

 

でもだからこそ、人は何度でも言葉を尽くすんだろうと思うようになりました。

 

 

 

 

表したいこと、伝えたいことがあるのなら。

手を変え品を変え何度も言葉を尽くそう。

 

 

必要なら言葉以外のものの手も借りながら。

 

 

言葉をいじくりまわすだけでなく、それを発する自分を見つめよう。

 

 

届くものは目に見えないもののほうがきっと大きいのだから。

 

 

……見えないからわからないんだけど(笑)

発するものに本当にのせたいものをのせるもので在りたいと思います。